表紙 » 仮粧町通り商店街 異形種共同組合 ブッダマニアと消えない痕跡

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繁華街には大きなアーケードがあり、夜でも人通りが絶えることはない。広い天井に据えられた無数の照明と通り沿いの店舗の明かりが、道幅が十数メートルはある大規模な商店街をまるで昼のように照らし上げていた。

そのせいか裏手に出ると急に夜が深まった感じがする。この辺りは路地が網目状に走っていて、アーケードと並行する小さな通りにも飲食店や風俗店の入ったビルが軒を連ねている。清潔で明るい表通りのアーケード街とは違い、暗がりをじんわりと照らすような裏路地では、派手な化粧をした条例違反の客引きが街角に立ち、小店の前には木製の椅子を置いて煙草をふかす、年甲斐もなく髪を染めシルバーを多めに身に着けた中年と、それを取り巻く似たような格好の若者たちがたむろしている。

ブラックレターで〈 NORDノルド 〉と書かれた看板の出た建物に、地下の店舗へと降りる階段がある。その前を塞ぐように座り込んでいるのはギルドの構成員たちだった。やることと言えばただ駄弁っているだけでもあり、根城アジトである店の入り口を固めるのが役目でもあった。敵対勢力が訪ねてきた場合には、力づくでもお帰り願うか、店の中にお連れする前に来訪者のマナーを身に刻んでもらうようにするのが彼らの仕事だ。

そんな彼らにとってもその夜の来訪者は意外だった。

まるで彼らの存在など目に入っていないかのように薄汚れたビルに入っていこうとしたのは、夜の街には似つかわしくない少女だった。白いワンピースに黄色いカチューシャと、清涼飲料水やファミリー向けの自家用車の爽やかなテレビ広告にでも出てきそうな格好をしている。だが不釣り合いに目つきが悪い。

「はいちょっと待ったー」ギルドの一人が少女を遮った。「お嬢ちゃんダメだよ~、こんな時間に一人で出歩いちゃ。悪い大人にこわーいところに連れていかれちゃうよぉ」

「テメーがそのワルいオトナだろ」「きめぇぞロリコン」仲間たちが囃し立てた。

「ウルセー、邪魔すんな。で、どうしたの? ママでも探してるのかな? お兄さんが一緒に見つけてあげよっか?」

男は親切ごかした言い方をするが、猫なで声にそぐわない厳めしい顔つきは、とても小さな女の子に向けるべきものではない。

「その必要はねぇよ」少女は男の顔も見ずに応えた。「オレの用事はこの下だ」

「ここは風俗店じゃないんだ」男の声の調子トーンが変わった。「だからお前の売春婦のママはこの下にはいないんだよ。こっちに来い、娼婦の娘に相応しいところに連れてってやるから、話はそこで──

男は少女の肩に手を掛けると、そこで言葉を詰まらせた。代わりに苦悶の声を上げる。

「汚ねえ手で触ってんじゃねえよ」

男は少女に指を捩じられていた。いかにも軽く指で掴まれているだけなのに、振りほどけない。下手に抗おうとしても、少し力を入れられると、激痛が走り身を屈めてしまう。

その様子を見て、周りの男たちは大笑いした。

「やべぇ。こいつ、こんなチビガキにひねられてやがる」「みっともねぇなぁ」「ロリコン拗らせすぎだろ」「助けてやろうかー?」

「誰がロリだ。殺すぞテメェら」

指を極めたまま少女が睨みつけると、他の男たちも一斉に立ち上がった。

「やってみろよ」

男たちは四人で少女を取り囲んだ。二人は追い詰めるように路地の側に立ち並び、一人は少女の斜め後ろ、もう一人は背後に回りビルの通路を塞ぐ。口では茶化すようなことを言っていても、この少女が普通の人間ではないことには、とうに気づいていた。簡単に捻り上げられた男がどうなろうと知ったことではない──この中の誰もが仲間と言うほどの仲でもない──が、自分たちの仕事を疎かにしては後が恐ろしい。

猪のような顔をした男が、まず少女に掴みかかった。丸々とした体つきに反して踏み込みが鋭い。一瞬で少女との間合いを詰めると、襟を取った。

同時に、蟷螂のような目をした男が、斜め後ろから少女に殴りかかる。手にはレンチのようなものを持っていた。一対多では一人と組みついてしまえば他の攻撃を避けることはできない。よほどの化け物でない限り、この状態になった時点で、少女が血の海に沈むことは決まり切っていた。

だが男は蟷螂のような目をさらに剥くことになる。少女は猪男に組み付かれたまま、振り下ろされた腕を後ろ手に受け止めた。あまりの握力に、レンチが地面に落ちる。少女のもう一方の手は、最初の男を捻り上げたままだ。

「ッ、この、ガキィ……

猪顔の男は首の筋を切れそうなほどに浮かび上がらせていた。それほど力を篭めていたのでもあるが、組み付いたときに踏まれた足が砕けそうに痛かった。必死に体を揺すろうとするが、少女は平然と立ちずさんだままビクともしない。それどころか足を少しにじられるだけで呻きを上げて動けなくされてしまう。

「おい勘違いすんなよ」少女の声は落ち着いていた。「何もオレは揉め事起こしに来たわけじゃねーんだ。お前らを取りまとめてるやつがいるだろ。そいつに会わせてくれよ」

「てめぇ、調子乗ってんじゃねえッ」

背後の一人がビルの通路から飛び出すと、高く跳躍した。抑え込まれた男たちを飛び越えて、少女の頭上から殴りかかる。相手は既に両手を塞がれている。いくら強気なことを言っても、この状態で攻撃されれば、防ぐことも避わすこともできない。

「ちッ、バカが」

しかし少女は防ぐことも避わすこともしなかった。振るように上体を前に傾けると、腰をひねって後ろに蹴りを突き出した。襲い掛かった男は少女の足とビルの壁面とに挟まれ、古いコンクリート壁にヒビが入る。男は腹を圧し潰されて、苦悶の声を上げた。

「で、お前はどうする?」

少女は正面に残っていた最後の一人に眼光を飛ばした。

──こいつはやばい。男は戦慄した。四人を抑え込むのに両手両脚を使い切った少女を相手に、それでも自分では敵わないことを直感していた。どんな国にも天災と変わらないレベルで戦闘に特化した異形種が存在する。こいつはソレだ。ちょっとした武闘派レベルではとても勝負にならないのは、まさに今、目の当たりにした一部始終で明らかだった。

男は少女に背を向けて走り出した。

逃げるのではない。自分たちでは敵わないのだから、もっと強い仲間を呼びにいくのは合理的な判断だ。決して恐怖に駆られたのでも、任された仕事を放棄するのでもない。根城である店とは反対に向かうのも、ビルの入り口の方に少女がいる以上、仕方ない。その判断が的確であることに、顔を恐怖に引きつらせ、悲鳴のような声をこぼしてしまっていることは何の関係もない。気持ちばかりが急いて、上半身は前のめりに逃げようとするのに、足が追いつかずに絡まってしまいそうになることも。

男は何もないところでつまずくようにして倒れかかった。しかし地面に顔から突っ込んでしまうようなことにはならなかった。黒い手袋が男の顔を鷲掴みにしたからだ。

「おやおや、どこへ行かれるのですか……

ビルの前の通りには、スーツ姿の男が立っていた。きちっとネクタイを締めたシャツの上に、よく見るとジャケットではなく、代わりにそのまま丈の長いコートを着ている。片手はポケットの中に入れ、もう一方の手で逃げ出した男の頭を掴んでいる。

「自分の仕事を忘れたのですか。お客様をお相手するのが役目なのに、それを放り出してどこへ行くつもりです」

「シ、シモンさん……」掌の中で男はガチガチと歯を鳴らしていた。「い、いえ、オレはただ……仲間を呼びに……

「仲間ならそこにいるじゃありませんか」

黒手袋が持ち上がる。そのままコートの男は腕をひねり、逃げ出そうとした男に後ろを向かせた。その視線の先には、四人が先程のまま少女に身動きを封じられている。

「与えられた役割は果たせない。仲間を守ろうともしない。そんな者が組織に属する意味などあるのでしょうかね」

黒い手袋がミシミシと食い込む。男は痛みに呻吟した。引きつった恐怖の声が、薄汚い裏路地に響く。皮膚を破って突き刺さっていく指は、溢れ出す血に染まっていく。

「おい」少女が口を挟んだ。「そこまでするこたねーだろ。説教するんなら裏でやってくれ。気分わりい」

コートの男は少女を横目に見た。冷酷な目をしていたが、そのまま口元だけで微笑すると、頭を掴んでいた手をパッと離した。逃げようとした男は、路上に崩れ落ちる。

「これは失礼。大変お見苦しいところをお見せしました」

コートの男は少女に向き直った。

「私は大暮おおぐれ四門しもんと申します。その者たちがなにかご無礼を働きましたでしょうか」

「別に大したことはねえよ」

少女は男たちを解放した。四人ともその場に座り込んで、逃げ出すこともできなかった。それは必ずしも少女のせいというわけではなさそうだ。

少女は四門に数歩歩み寄る。それなりに背の高い四門に対して、少女は胸を張って見上げる格好になるが、それでもか弱い印象など微塵も感じさせない。

「ちょっと洋風のマナーってやつを教わってただけさ。オレは葛折槐ってもんだ。あんたらの上のもんと話がしてえんだけどよ」

「伺いましょう」四門は指に付いた血を払うように手を下に振った。「一応、私がこの辺りを取り仕切らせて頂いていますので」

「テメェらみてえな余所者よそんもんにこの辺を取り仕切らせてやってるつもりはねえけどよ、今日は別の話だ。単刀直入に聞く。物倉美晴をったのはお前らか?」

睨みを利かせるエンジュに対して、四門は眉一つ動かさなかった。

「さて。どなたでしたか。聞き覚えのない名前ですが」

「いい齢した大人が新聞の一つも読まねえのかよ」

「あぁ。あの事件の被害者ですか。最近、近くの路上で死んでいるのが見つかったという」

四門は言われて初めて気づいたという風に言った。

「その方と私共がどう関係するのでしょう」

「それを聞きに来たんだよ。お前らが殺したわけじゃねえのか?」

「さぁ……突然そんなことを言われましても。正直、なんとも言えませんね。メンバーの誰かがやったのかもしれませんし、それこそ、人間なんていくらでも殺してますからね」

「チッ」エンジュは舌打ちした。「人喰いが居直ってんじゃねえぞ」

「人間なんかに尻尾を振るより、よっぽど自然な生き方をしていますよ」

「誰が尻尾を振ってるだ」

「おや、違うのですか。こうやってわざわざ、殺された人間のために犯人探しまでしてあげてるじゃありませんか」

「そんなんじゃねえよ、こっちには色々と事情があるんだボケ」

エンジュは吐き捨てるように言った。その何が面白いのか、四門はクスクスと笑う。

「これは当て推量で言うのですが、その事情というのは、最近あなた方のお仲間が消されていることと何か関係があるのですか?」

「テメェ」エンジュは表情を消した。その目の奥には好戦的な光が灯っている。「やっぱり何か知っていやがるな」

「さぁ、どうでしょう。知っていたとしても、教えて差し上げるような義理はありませんが」

「力尽くで聞き出したっていいんだぜ」

「どうぞ。こんな街中で本気が出せるのであれば。私は構いませんよ」

エンジュはまた舌打ちした。

「いけすかねぇ野郎だ。どいつもこいつも、さかしらなことばっか言いやがって。見くびってんじゃねえぞ。テメェらごとき、何人でかかってこようが、血祭に上げてやるくらいワケねぇよ」

「おや、気づいていらしたのですか」

「こんだけ殺気撒き散らしておいて、気づかねぇわけねーだろ。みみっちい真似してねえで、とっととお友達に出てきてもらったらどうだ」

「ではお言葉に甘えて」

四門が手をかざすと、ビルの中から男たちがゾロゾロと姿を現した。ビル前の通りにも、左右それぞれの角から同じように男たちが現れ、その数の多さで路地を埋めてしまう。まるでエンジュの逃げ道を塞ぐかのように。

「ったく、面倒くせぇなぁ。一人相手にどんだけ集めてんだよ」

エンジュが呆れたように言うと、四門は申し訳なさそうに笑った。

「皆、仲間想いなもので。そこで倒れている四人の恥辱をそそぐまで、貴女には帰ってほしくないと言って聞かないんです」

「だったら素直に知ってること全部話しな。じゃないとその大切なお仲間がもっと痛い目を見ることになる」

「そうですね。ただ、お話なら中で伺いましょう。こんな夜分に悲鳴を上げられでもしたら近所迷惑ですからね。おい」

四門が顎で促すと、ビルから出てきた男たちの一人が、真後ろからエンジュに手を伸ばした。

その手がエンジュの肩に掛かった途端、男は膝をついて崩れ落ちた。腹を抱えて、口から胃液のようなものを吐いている。

「チンピラどもがオレに気安く触ってんじゃねえぞ」

周囲の男たちはいきり立った。

「このガキァ」「調子乗ってんじゃねえ」「五体満足で帰れると思うなよ」

「上等だ、かかってこいや! テメェらみてぇな特定外来生物なんざ、オレ一人で滅ぼしてやる」

襲い掛かった近場の三人をエンジュは一瞬で殴り倒した。更にそのまま、手の届く位置にいる男たちをそれぞれ一撃で沈めていく。動きは荒々しく粗暴に見えても、的確に相手の急所を突いている。そのために、軽くはたくように当てるだけでも、男たちは悶絶すらできずに動けなくなる。

「バカ、殴り合うな! 押し込め、圧し潰せ!」

誰かの掛け声で、男たちは一斉に向かっていった。タックルをして、仲間の上から何人も圧し重なるようにしてエンジュの自由を奪うつもりだ。

エンジュは、先頭を切って飛び掛かってきた者を殴り倒し、倒れ伏した男を放り投げて牽制するが、少しずつ周りのスペースがなくなっていく。圧倒はしていても形勢がいいとは言えない。このままではエンジュが男たちに捕らわれるのは時間の問題かと思われた。

だが最後の一押しが中々埋まらない。先にエンジュに突っ込んでいった男たちがされてしまうと、後に残った者たちはなかなか飛び掛かっていこうとはしなかった。

「何をやっている」四門は苛立たしげに手を振った。「全員で行けば取り押さえられるでしょう!」

それでも男たちは動かない。全員で飛び掛かれば、この化け物を抑え込むことはできる。だが最初に掛かっていった者はどうなる? 確実に血の海に沈む。一度そう考えてしまったら、誰もが二の足を踏んでしまう。隣のやつが出ていったら後に続こう、そんな思惑で互いに様子を伺い合っていた。

「まったく……これだから流れ者は頼りにならない。少しは集団意識というものを身に付けてもらいたいものです」

呆れるように呟きながら、四門は手袋に指を掛けた。

中から一見何の変哲もない素手が現れる。ただその指は妙に禍々しく開かれていた。

「おら、どうした! かかってこいよ!」

エンジュは倒した男に片足を乗せ、また別の男を髪を掴んでぶら下げていた。

「仲間がやられてんのに見てばっかりじゃねえか! ぼさっと突っ立っててオレが倒せんのかよ! ちったぁ根性見せろ! 少しは男気のあるやつはいねぇのか!! テメェらどいつもこいつも玉無しか!?

まったくをもってその通り──四門は内心、エンジュに心から同意した。こちらの不甲斐ない有様になぜ敵であるこの小娘が憤っているのかは理解不能だが、それを別にすれば、こんな様を見せられて、怒りたくならないほうがおかしい。

だがこのまま好き放題にされっぱなしで済ませるわけにはいかない。示しというものがある。規律を欠いた組織はもはや組織とは呼べない。それを一つに結びつける紐帯は、常に権威でなければならない。

四門の目が見開かれ、ヤギのような瞳孔が禍々しく光る。その害意に染まった怪しい光とともに、暗い紫色のうねりのようなものが、四門を中心に渦巻きはじめた。四門はシャツの袖をめくり、手を宙にかざす。その掌が、指先が、エンジュたちの方へと向けられる。

「おい、なにをしてる!」

街の隅から隅まで届きそうな声が、ビルの合間に響いた。

「開けろ、道を開けろ! 何をやってるんだ、こんなに集まって!」

声は一人のものではない。

四門は動きを止めると、不愉快そうに邪魔者の方を見た。

県警の名が縫い込まれた防刃ベストを着た、ガタイのいい男たちが集団に割って入ってきていた。通報があったのだろう。割って入った数人の他に、腕組みをした警官たちが周りを取り巻くようにして見ている。通りの先を見やると、そこにも道を塞ぐように警官が立っている。街中でこんな騒ぎを起こした連中を絶対にそのまま帰してやりはしないという意志がありありと見て取れる。

四門は手を下し、再び黒い手袋をはめた。警察はまずい。もちろんこの場にいる警官を消すくらいのことは難しくないが、警察という組織を敵に回すのはあまりにも利口ではない。

「やれやれ、面倒なことになってしまいましたね」

皮肉そうに薄笑いして四門がエンジュの方を見た。ビルの前の人だかりの中心にぽっかりと空間ができている。先程までそこで暴れていたはずの少女の姿は、しかし、人さらいにでもあったかのように消えてしまっていた。


…続く