表紙 » 仮粧町通り商店街 異形種共同組合 ブッダマニアと消えない痕跡

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朝の商店街は閑散としている。特に休日は通勤通学で通り抜ける人もおらず、人通りがない分だけ広々としていた。ほとんどの店はまだシャッターを下ろしている。大抵は朝十時から昼前頃からの開店で、一部、早朝から準備をするような店は半分だけシャッターを開けていて、店前みせさきに小さな運搬車バンが止まっていたりする。前日の人混みがけた後、夜のうちに澄み渡った涼やかな空気が、静かに通りを満たしているようだった。

ユウマにとっても、こんな朝早くから商店街に来るのは初めてのことだった。組合の事務所が入っている仮粧町商店街ビルから少し離れたところで、車道と歩道の境に並んだ街灯の脇のあたりに、エニスと一緒に立っている。

あの後、ユウマは陽毬をどうデートに誘うか悩んだ末、エンジュに頼んでエニスを貸してもらうことにした。一緒に散歩をすれば、そのときついでに狭間のいるところに立ち寄れるし、何かしら理由をつけてしばらくそこに留まることもできそうだ。その間に、エンジュが言っていたように、狭間に悪霊を追い出すなりなんなりしてもらえるだろうと考えた。

知り合いから犬の世話を頼まれたのだと話すと、陽毬は思いの外、ときめきをあらわにして話に乗ってきた。動物好きらしい。ユウマが話の流れもへったくれもなく散歩に誘うと、一も二もなくオーケーしてくれた。エンジュの言う通り、とにかく動いてみればいいというときも本当にあるみたいだ。

初めての休日デートに気が急いて、ユウマは約束の時間より随分早く来てしまった。そのせいで、もう十分以上も歩道脇に佇んでいる。エニスは早く散歩に行きたくてウズウズしているらしく、ユウマを催促するよう頻繁に顔を向けてきた。

ユウマがエニスを引き受けるとき、エンジュは色々と注文を付けた。リードの持ち方とか、トイレの処理の仕方とか。車道の近くを歩いたり自転車が来たりするときはエニスが飛び出さないように抑えて立ち止まったり自分が間に立ったりするようにしろとか、よくわからない物を拾い食いするから草むらに近づいていこうとしたら気をつけろとか。ユウマが『はいはい』と答えると、『ちゃんと聞いてるのか!?』と怒られた。愛犬を預かったのだから責任は重大だ。

待ち合わせの五分ほど前に陽毬は現れた。

「おはよう」陽毬が朝顔よりも爽やかに言った。「もしかして待たせちゃった?」

「う……ううん、全然」

陽毬の笑顔に、ユウマは一瞬言葉を失いそうになった。いつもは制服姿の陽毬しか見たことがなかったが、今日は私服だ。白いハイネックの上にピナフォアドレスを着ている。その重ね着した袖のないワンピースはスカート丈が長くふんわりとしていて、陽毬の穏やかな笑みにとてもよく似合っていた。すごく可愛い。だけどユウマはどう褒めるといいのかわからず、ただ頬をちょっと赤くしてまごつくことしかできなかった。

そんなユウマとは対照的に、エニスは積極的だった。じゃれつくように陽毬の周りをクルクル回って、何かを嗅ぐように、クンクンと鼻を鳴らしていた。陽毬がちょっと戸惑う様子で見ていると、エニスは探るように動かしていた鼻先をスカートに突っ込んだ。

「きゃ」と陽毬は声を上げた。

「ご、ごめんっ」

ユウマはリードを引くと、慌てて謝った。

「いつもはもっといい子のはずなんだけど」

「ううん、大丈夫。ちょっとビックリしただけ」

陽毬はユウマにはニッコリと微笑むと、それから笑顔のまま軽く眉を寄せて、エニスの方を向いた。

「こら、エニス。スカートをめくったりしちゃダメでしょ」

陽毬が幼稚園児でも叱るかのように言うと、エニスは申し訳なさそうにお座りをした。

「あれ?」

ユウマはそんな様子を微笑ましく眺めつつ、ふと疑問に思った。

「名前よくわかったね。教えたっけ?」

「え?」

陽毬はちょっと意外そうに顔を上げた。

……聞いてなかったっけ?」

「言ってなかったような気がするけど……

そう呟いてからユウマは陽毬を誘ったときの会話を思い返したが、やはり犬の名前がエニスだということは伝えてなかったように思う。

「そうだったかな……どうしてだろう。この子に話しかけるとき、自然と名前が出てきたんだけど……

陽毬は不思議そうに小さく首を傾けた。

ユウマはちょっと考えた。他に陽毬がエニスの名前を知るような機会はあるだろうか。ものすごい偶然で前にエニスと会ったことがあったとしても、それならそのことに陽毬自身が思い当たるはずだろう。そうすると、やはりユウマが教えたのだろうか。陽毬をデートに誘うことですごく気が動転していたから、記憶があやふやになっているだけかもしれない。

「やっぱり、この間の電話で僕が言ったのかも」

……そうだったかな?」

二人が不思議そうに頭を傾げていると、エニスが小さく吠えた。バタバタと大きく尻尾を振っている。

「あぁ、ごめんごめん。散歩だよね。ずっと待たせてごめんね」

ユウマがエニスに謝ると、陽毬がクスリと笑った。

「やっぱり待ってたんだ」

「え? あ、いや、その……

陽毬の笑顔に、ユウマは嘘をつけなくなった。

……うん。ちょっとだけ」

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「そんな! 僕が早く来すぎただけだから!」

実際、陽毬は待ち合わせより早く来ているので、ユウマが早く来すぎただけというのは誇張でもなんでもなかった。


商店街から裏手に折れると、路地は密集した家々の間を縫うように続いていく。ユウマがいつも帰りに通るのと似たような道程みちのりで、その先はやはり明鹿橋通りに繋がっている。その手前のあたりで、狭間と待ち合わせをしていた。正確には、狭間と待ち合わせをしたということを、エンジュ経由で伝え聞いていた。

ユウマは陽毬と一緒に歩いて胸を高鳴らせながらも、ちゃんと今日の目的を忘れてはいなかった。普通に考えれば忘れる方がおかしいのだが、今のユウマなら忘れてしまってもしょうがない。それくらいユウマは陽毬の私服姿に心を奪われていた。可愛らしいのにちょっと大人っぽくて、ゆったりとして柔らかな印象の装いは、陽毬の雰囲気によく似合っていた。そんな陽毬と並んで歩いていると、ついエニスが空き地の草場に吸い寄せられていくのを止めるのも忘れて、横顔に見入ってしまう。陽毬がそれに気づいて、不思議そうにニコッと笑うと、ユウマはいたずらがバレたように俯いてしまう。

〈ど、どうしよう〉ユウマは心の中で呟いた。〈めちゃくちゃ可愛い……

草むらに突っ込んでいこうとするエニスを慌てて引き留めながら、ユウマは必死に気持ちを鎮めようとした。今日の目的は狭間に陽毬の様子を見てもらうことで、散歩デートはあくまで副次的なものに過ぎない。

明鹿橋通りと並行に伸びている路地を表通りの方に折れると、狭い道の途中に祠がある。民家の間にぽつりと立った木柱で支えただけの小さな三角屋根で、その中には地蔵が祀られている。背の丈よりも低い古びた地蔵堂だが、近所の人が手入れをしているのか、地蔵には清潔そうな赤い前掛けがしてあり、両脇には瑞々しい花が活けてある。

「あれ? エニス、どうしたの?」

陽毬が不思議そうに声を掛ける。エニスはその地蔵堂の横にトコトコと歩いていくと、お座りをした。

「なんか、地蔵とかがあると、こうやってお座りしたがるんだって」

エンジュから聞いたことをユウマが伝えると、陽毬は「そうなんだ」と少し目を大きくした。

「お地蔵さんにお参りしてるのかな?」

「どうだろう」ユウマは少し考えた。「……前の飼い主が散歩中にお参りしてたのかもね。いつもその間こうして待ってたから、それがクセになってるのかも」

「そうなんだ……

エニスのことは、前の飼い主が亡くなったので、引き取り手が見つかるまで知り合いが預かっているのだと陽毬には伝えてあった。

……もしかすると、こうやって待ってたら、ご主人様が前みたいに連れていってくれると思って、いい子にしてるのかな」

陽毬がそうぽつりと呟いて、ユウマはハッとした。陽毬がそんなことを言うまで気にも留めずにいたが、エニスは前の飼い主である物倉美晴と死別しているのだ。きっと大切に飼われていたのだろう。エニスの人への懐き方を見ると、人間と一緒にいることにいい思い出が沢山あったのだと思わされる。そんな人懐っこい犬が、大好きな飼い主と別れて暮らすことになったら、それはもう寂しい思いをしているに違いない。

「そうなのかも……

そんなことを考えると、地蔵に向かってお座りする姿が可哀そうに思えて、ユウマはエニスの頭を撫でてやった。

しかしエニスはいつもののんきそうな顔をユウマに向けた。それからジーッとユウマを見る。〈そんなことしてる場合?〉とでも言いたげに。

それでユウマはもう一度ハッとした。そうだ、こんなことをしている場合ではない。ここで狭間に陽毬の様子を見てもらわなければならないのだった。

周りを見回すが、狭間の姿はない。どこかに隠れているのだろうか。姿を見せたら陽毬がビックリしそうだという話をエンジュとしていたので、狭間の方で気を使ってくれているのかもしれない。

しかし姿が見えないとなるとどうしていいものか、ユウマも困った。ユウマたちが気づかない間に、もう何かしてくれたのだろうか。それとももう少し、ここで待っていた方がいいのだろうか。いっそ、出てきてくれた方が有難かったかもしれない。確かに陽毬を驚かすことにはなるかもしれないが、いつもよくしてくれる友達に陽毬を紹介したいという気持ちもちょっとだけあった。流石に止めておいたほうがいいだろうが。

どうするか考えあぐねて、ユウマは再びなんとはなしに周りを見渡した。すると、さっき曲がってきた角に、人影がさっと身を引いたのが見えた。すごく見覚えのある形姿なりかたちだった。

「あっ」とユウマは少しわざとらしい声を上げた。「ごめん、ちょっと忘れ物しちゃって……すぐ取ってくるから、ちょっとここで待ってて!」

ユウマは陽毬が何か言う前にリードを託すと、慌てた風を装って、元来た道を小走りで戻っていった。

角を曲がると、そこにはエンジュがいた。

「何してるの?」

「別に」とエンジュはバツが悪そうに言った。

……もしかしてエニスが心配でついてきたの?」

「そ、そんなんじゃねーよ! なんでオレが犬の心配なんかするんだ! 今日は散歩しなくて済んでよかったって、喜んでるくらいだ!」

…………へぇ」

「このヤロウ、信じてねーな?」

「そんなことないよ。それよりさ、ちょっと確認したいんだけど」

「狭間のことか?」

話が早い。ユウマは頷いた。

やはり狭間は、陽毬に見えないように姿を隠しているのではなくて、ここには来ていないようだった。

「あのバカ、約束忘れてどっかで酒でもかっくらって寝てんじゃねーのか」

「もう少し待った方がいいかな?」

「待ってたって、いつ来るかわかんねーからな。ひとまず散歩は続けて、帰りにまた寄ってみたらどうだ?」

「そうだね、折角の散歩なのにあんまり待たせるとエニスが可哀そうだもんね」

「なんでそこで犬の話になるんだよ」

狭間にはエンジュが書き置き的なものを残してくれるということだったので、ユウマは陽毬とエニスのところに戻った。

「ごめん、お待たせ。大きいのをしたとき用のトイレットペーパーを忘れちゃって……

「すごく早かったね」

陽毬は素直に驚いた。それもそうだろう。さっき待ち合わせた辺りまで実際に戻ったにしてはあまりに早すぎた。

「は、走ったから……待たせたら悪いと思って……

ユウマがしどろもどろになって取り繕っているのを横目に、エニスが立ち上がった。呆れているのか、助け舟を出してくれたのか。早く散歩に行こうと促すように、クイクイとリードを引っ張った。


裏路地から明鹿橋通りに出て信号のある横断歩道を渡り、住宅地に入ってしばらく歩くと公園がある。前に陽毬とベーカリー&カフェ『ポリアンナ』に寄った帰りに通りがかった、あの公園だ。

エンジュによると、散歩に出るときエニスが行きたい方向に行かせていると、いつもこの公園に立ち寄るのだそうだ。それでこの日の散歩コースもこの公園に向かうようにしていた。

先日、陽毬が幽霊に憑りつかれたのはこの公園の前だった。あまりいい思い出がある場所とは言えない。ユウマはそのことが少し気に掛かっていたが、陽毬はさして気にしていないようだった。

──私ね、小さいころ犬が飼いたくて、親にお願いしたんだけど、お母さんが犬苦手だからダメって言われて……それでダダをこねてふてくされてたら、代わりにお父さんが子供のころ遊んでた古いゲームを渡されて……ううん、ペットを飼うのはそうなんだけど、犬じゃなくて、なんかオジサンみたいな顔の人面魚。『こんなの違う! 私が飼いたいのは犬なのに!』って文句を言ったけど全然取り合ってくれなくて、仕方なくゲームの中の水槽で人面魚と、あと虫かごでエサの蛾みたいなのを育てて……うん、だから、こうやって犬を連れて散歩したりするの、すごく憧れてたんだ。

でね、その人面魚はマイクで話し掛けると返事をしてくれるんだけど、それがもう生意気で……『こんにちはー』って呼びかけると『なんだよ。なんか用か?』みたいな感じで。すごく素っ気なかったり、つっけんどんだったりするの。『お前、暇なんだな』とかバカにしてくるし、お世話してあげてるのに『もっとちゃんとやれよ』とか言ってくるの。『オレはお前が世話してくれないと死んじゃうんだからな、そこんところはちゃんと考えてくれよ』みたいな感じで。でも口は悪いのに結構甘えてきたり、私のこと心配してアドバイスしようとしてくれたり、なんか可愛いところあるなーって思ってたら急に苦しそうにしだして……産卵をしたらそのまま死んじゃって……あんまり覚えてないんだけど、私、すごく泣いたらしくって、お母さんが洗濯物を干してるところに大泣きしながら走ってきたから『どうしたの!? なにがあったの!?』ってものすごく心配したんだって。あはは、恥ずかしい。

そのときの卵を育てたら、なぜか魚じゃなくて蛙が産まれて……うん、それもオジサンの顔の人面蛙──

そうやって陽毬の話を聞いているだけでユウマは夢心地だった。話の中身はなんだっていい。こうやってずっと陽毬の笑顔を見ながら陽毬の声を聞いていられたら、どれだけ幸せだろう。

公園は、まだ早い時間ということもあってか、年寄りが数人ほど散歩をしているくらいで、いていた。わざわざ公園に来たがるというくらいだから、広々とした空き地で走り回ったりしたがるのかと思っていたが、エニスは敷地に入っていこうとはせず、入り口の小さな門の前でお座りをした。

「あれ? どうしたの、エニス?」

陽毬が声を掛けると、エニスはちょっと顔を向けるが、すぐまた通りの方を向いて、そのままお座りをし続けた。ここまで歩いてきて体温が上がったからか、ハッハと舌を出して息をしている。

「歩き疲れちゃったのかな。ちょっと休憩する?」

陽毬が話しかけても、エニスはわかったようなわからないような、きょとんとした顔をしていた。ただとにかく、ここにお座りをしていたいようだ。

「僕らも少し休んでいこうか。何か飲む?」

斜向かいの米屋の店前に自動販売機があった。

「そうだね。うーん、じゃあ何か野菜か果物系のがあったら」

ユウマはエニスを陽毬に託して、飲み物を買ってきた。

「いくらだった?」

陽毬は財布を取り出して待っていた。

「そんな、いいよ」

「でも……

「わざわざ散歩に付き合ってもらったんだし、これくらい出させてよ」

……じゃあ、ごちそうになろうかな」

「うん。はい」

「ありがとう」

ユウマは果実が四つ身を寄せ合っているラベルの缶を陽毬に手渡した。よく知られた大手メーカーの商品である割には見慣れなかったが、自販機限定らしい。ユウマも同じく自販機限定らしいトマト系の飲料を口にした。

そんなことをしている間も、エニスはお座りを続けていた。散歩用の水を入れたペットボトルを差し向けるとペロペロと美味しそうに舐めたが、それ以外には何をするでもなく、通りの向こうに首を向けて、ただジッと眺めている。

「まるで誰かを待ってるみたい……

陽毬がポツリと呟いた。確かに、こうしてただ座って通りの先を見続けているのは、なんだか忠犬ハチ公みたいだとユウマは思った。

「でも誰を待っているんだろう。ハチ公がいたのは確か駅の前だったと思うんだけど」

「うん……飼い主が電車で通勤してたから、それでお出迎えしてたんじゃなかったかな」

「公園の前で誰かをお出迎えするとは思えないし……

ユウマと陽毬は二人で首を捻ったが、うまく説明のつきそうな理由を思いつくことはできなかった。公園に来たがるのは、元の飼い主である物倉美晴とよく訪れていたからかもしれない。そこでいつも美晴と一緒に誰かを待っていたのだろうか。……もしかすると誰かを待っているみたいだという印象が、思い違いなのかもしれない。

飲み終わった缶を自販機脇のゴミ入れに捨てて戻ってくると、ようやくエニスは立ち上がった。

公園から北に歩くと二人の通う学校の方へ向かうことになるが、この日は折角なので、あまり行ったことのない東側に足を延ばすことにした。通学路からは外れているし、繁華街からも離れているので、そちら側へ足を踏み入れるのは二人とも初めてだった。

県内でも有数の渋滞発生地点として有名な交差点に名前がついていることで、浄梵寺という寺があることは知っていた。それでその寺を目指して歩いてみると、浄梵寺というのは意外なほどに小さな寺だった。その周辺には他にも十箇所以上の寺が集まっていて、不思議なことに、浄梵寺交差点の角にあるのは浄梵寺ではなく別の寺だった。

一巡りするには多すぎる寺々のうち寺庭の広いいくつかを覗いて、今度は西側へ、来たときとは一本別の道を戻った。住宅地を抜ける少し広めの道だが、車の通りはほとんどない。

民家に挟まれた路地は片手が小さな井手になっている。この井手には由緒があり、安土桃山時代にこの地を封ぜられた領主が江戸時代初期、慶長年代に大規模な治水・利水事業を行い、年寄りたちは皆どんな小さな井手に対しても、そのとき整備された水路なのだと誇らしく説明するのが常であった。

もう一方は塀に沿って電柱や街灯が並び立っている。車のウインカーのような細長い電灯が間隔をおいて疎らに連なっているが、たまにヨーロッパのガス燈のような六角形の電灯が混じっていたりする。

そんなちぐはぐな光景を眺めながら歩いていると、ユウマは異様なものを見かけた。ある民家の塀になっているクリーム色の壁面に、べっとりと赤いものがついている。それも小さな染みなどではなく、壁面全体に飛び散るような大きなものだ。その飛沫らしきものは、すぐ近くの街灯の柱にまでかかっている。

……なんだろうこれ?」

ユウマが呟くと、陽毬は不思議そうに首を傾げた。

「どうかしたの?」

「これが見えないの?」とはユウマは言わなかった。こういう齟齬は小さい頃から何度もあったので、陽毬の反応だけでユウマにしか見えていないことはすぐに察せられた。

ユウマはあらためてその外塀を見る。赤い染みは血のようにも見えるが、血のような物質的なものではないように感じられた。もっとなにか、苦しみとか怨念のような、強い感情が壁面に焼き付いてしまったような……そんな怖畏の心を掻き立てるような禍々しさがあった。

これは一体何なのだろう。おそらく人の側ではなく霊的な領域に属するものだろうが──エンジュなら何か知っているだろうか。この場で聞けるわけでもないが、そう思ってユウマが後ろを振り返って見ると、エンジュはやはり後についてきていた。

その様子を見て、ユウマは背筋にゾッとするものを感じた。エンジュは見るからに不穏だった。大きく剥いた目の中心で瞳は小さく絞られ、その奥で埋み火のような炎が怒りを焦がしているのが、こんなに遠目からでもわかってしまう。

そんなエンジュの反応に、ユウマは不安を覚えた。想像したくもないような考えが脳裏に浮かぶ。エニスは構わず先を歩いていく。ユウマは自分の予感が間違っていることを祈りながら、二人を追いかけて、今はその場を通り過ぎた。


…続く