23
そこは身元不明の遺体を一時保管する市の死体安置施設の近くにある古びた納骨堂だった。エニスを外で待たせ、小枝の案内でユウマがその中に足を踏み入れると、日中なのに堂内は薄暗くひんやりとしていた。
あれからエンジュは紅葉に連絡を取り、すぐにユウマの案を実行することになった。日を置けばその間に新たな被害が出ないとも限らない。エンジュや紅葉は準備のためにしなければならないことがあるというので、ユウマとは一旦、別行動を取っていた。
納骨堂には既にエンジュも紅葉も来ていた。それにもう一人、エンジュの隣に立っている見知らぬコートの男。
〈これが例の死霊使い……〉
ユウマは目の動きだけでその姿を見た。冷たいものを背に感じるのは室温のせいだけではないだろう。同じ人間の振りをして暮らしている“化け物”であるというだけでエンジュたちと同一視することには躊躇いを感じるほど異質な、殺人者の雰囲気のようなものを纏っていた。
その男の前に、小枝は自然に歩みを進めていった。
「鈴生小枝です」
相変わらずの無表情で、そう手を差し出した。
「これはご丁寧に。大暮四門と申します」
コートの男はクスリと微笑んだ。
「ただ、不躾で申し訳ありませんが、握手は遠慮させていただきます。こちらのお嬢さんに両手十指すべてを粉々に砕かれてしまったものですから」
四門が手を上げて見せると、そのどちらもが包帯でグルグル巻きにされていた。しかし人間が骨を折ったときにするような添え木は当てられていないように見えた。
小枝は不満そうに顔を背けると、ユウマの近くに戻ってきた。それを追うように見ていた四門の視線が、ユウマとぶつかった。
「……黒江夕間です、よろしく」
誰何されているように感じて、ユウマはついそう挨拶をした。
「なるほど」四門は愉快そうに笑った。「貴方がこのアイディアの発案者ですか。人間であるにも関わらずよくこんな悪趣味な方法を思いついたものですね」
ユウマが何も答えないでいると、四門は言葉を続けた。
「気を悪くしないでください。褒めたつもりです。もしかすると、貴方は人間でありながら私たちに近い感覚をお持ちなのではないかと思いましてね」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ」とエンジュが低い声で言った。「こいつはテメェらなんかとは違って、優しくて思いやりのある善良な人間だよ」
そう言い切ってしまってから、エンジュはあらためて険のある目を四門に向けた。
「言っておくが、こいつに何かあったら、地獄見せてやるからな」
「心外ですね。私たちも、人間なら誰彼構わず襲うわけではありませんよ。消す相手もちゃんと社会に不要な人間から選んで、そのおこぼれに預かる程度に留めるくらいの節度はあります」
「それは、社会に不要かどうかをあなたたちが決めるということですか」
思わずユウマが指摘すると、四門は悪びれもせずに説明を続けた。
「いいえ。私が今『社会に不要な人間』と言ったとき、イメージが浮かんだでしょう。そういう人たちを対象にするという意味です。決して、私たちが決めているのではありません」
〈なるほど〉とユウマは納得がいった。〈これはエンジュが嫌悪するのも無理はない──〉
「盛り上がっているところ悪いのだけれど」堂の奥で紅葉が言った。「余計なお喋りはこれくらいにしましょう。この遺体は無許可で持ち出しているの。あんまりのんびりされると、とても面倒なことになりかねないわ」
「そうですね。私もこんな状況では生きた心地がしませんし、手早く済ませて帰らせていただきましょう」
四門は堂の中央に置かれた搬送用寝台の前に歩み出ると、被せられていた布の覆いを取った。その下に横たわっていた死体は、新聞で見た似顔絵とも、紅葉に見せられた生前の写真とも、似ても似つかない人相をしていた。頭髪は乱れ、皮膚はどす黒いどどめ色に変色し、なにより司法解剖のために切り刻まれた痕が大きく残っていた。間に合わせの粗い縫合が一層痛々しい。刃物で切り殺された物倉美晴の、死してなお切り裂かれた遺体は、直視するのを避けたくなるような無残な有様だった。
しかしユウマは目を背けなかった。敵である四門と顔を合わせてしまうという危険も顧みずにユウマがこの場に立ち会ったのは、それが物倉美晴へのせめてもの誠意だと思ったからだ。
美晴の遺体を前にして、四門は拝むように、包帯の巻かれた手を合わせた。
「……何してんだ?」
思いがけない四門の行動に、エンジュが怪訝な顔をした。
「殊勝に振舞っておかないとまた誰かさんが激怒して酷い目にあいますからね」
「……バカなこと言いやがって。なんで西洋の悪魔が仏式なんだよ、十字でも切れよ」
「そんなことは、死んでもやりません」
それから四門は呪文のようなものを唱えだした。小さくくぐもった声は地獄から響いてくるようで、その不気味な音は聞く者に理由のない恐ろしさを植えつける。冷ややかな堂内の室温が更に下がっていく。次第に、横たわる遺体の周囲に濃い紫色の靄のようなものが立ち込めて、それに紛れて人らしき形のものが美晴の体に入っていくのが、ユウマには確かに見えた。
ゆっくりと、美晴は上体を起こした。一旦は前に力なく折れた首が、あらためて持ち上がる。損壊され腐臭を纏う爛れた死体は、いま蘇った。その光景は、しかし、人間が立ち入ってはいけない禁忌の領域を侵してしまったのだと実感するには十分なものだった。
ユウマは美晴の前に歩み出た。これは自分の役目だ──そうユウマは思った。確かめなければならない。あのとき美晴が、陽毬の体を借りて、伝えようとしたことが何だったのかを。
「物倉美晴さん、こんな形で呼び出してしまってすみません。ですが僕は、どうしても知るべきだと思ったんです。……教えてください。あなたが、僕に伝えようとしていたことを。あなたの命を奪った犯人について知っていることを」
美晴はユウマの呼びかけに応えるように口を開いた。しかし声は出てこない。唇をパクパクと動かしても、嘔吐するような音が、どうしても声になりきれないまま、ボトボトとこぼれるように出てくるばかりだ。
「どうしたんだ……喋れねぇで困ってるみたいだぞ」
エンジュが質すように四門を見た。
「それはそうでしょう」さも当然といった口ぶりで四門は答えた。「喉を抉り取られて死んだんです。その肉体で、普通に喋れると思う方がどうかしています」
その他人事のような態度にエンジュは苛立ちを隠さなかったが、ひとまずは無視することにしたらしい。
「なんとかなんねぇのかよ。それじゃ話が聞けねえだろ」
「そう言われましてもね、私の術はあくまで死体を蘇らせるだけですから。損傷した部位を動かせるよう補助するくらいはできても、欠損した部位についてはどうしようもありません」
「くそっ、ここまでさせておいて、犯人はわからねぇままってことか!?」
「大丈夫」ユウマが落ち着いた声で言った。「そう思って、用意してきた物があるんだ」
ユウマは校章の印された通学カバンから、模造紙のようなものを取り出した。それは折りたたまれた四枚の厚紙に貼られてあり、広げると一枚の大きなパネルになる。そこには文字が記してあった。五十音表、数字、はい、いいえ──まるでこっくりさんに使う文字盤のようだ。
ユウマがその表を掲げると、美晴は意図を理解したらしく、震えながらも腕を上げた。
一つ一つ、その指先が文字を示し、たどたどしくも言葉を紡いでいく。
物倉美晴は犯人を告発した。その名は、ユウマを驚愕させた。信じられない。思わずそう叫びそうになった。しかし殺された当人がそう言っているのだ。これ以上確かな証言はない。
「おい」エンジュがユウマに声を掛けた。「桜町のやつとは、朝、パン屋で別れたっつってたよな」
ユウマが肯定すると、エンジュは納骨堂を飛び出していった。
「槐、待ちなさい!」
大きな声で紅葉が止めようとしたが、エンジュは振り向きもしなかった。
紅葉は忌々しげに唇を噛んだ。それでも追おうとしないのは、敵対する人物がいるところに二人を残してはいけないからだろう。物倉美晴の遺体を放っておくわけにもいかない。
「僕が追いかけます」
ユウマがそう言って駆けだした。
「ちょっと黒江くん! あなたまで無茶を──」
紅葉の声を背に、ユウマは納骨堂を出た。エンジュの姿はとうに見えなくなっていたが、行き先はわかっている。エニスのリードを取ると、ユウマは急いでエンジュの後を追った。行かなければならない。ユウマを突き動かしているのは責任感だった。
ユウマは息を切らせて走った。ただの人間が、エンジュの“化け物”みたいな足の速さについていくなんて、無理な話だ。それでも、せめて少しでも早く着けるよう、懸命に息を継ぐ。
犯人の名前と共に、美晴が告げた事実──また新たな被害者が生まれようとしている。ユウマの顔は悲壮だった。それだけは、何としてでも食い止めなければならない。
エンジュがカフェ&ベーカリー『ポリアンナ』に着くと、店は火が消えたように静かだった。窓越しに見える店内は照明が落ちていて暗く、入り口には『CLOSED』の札が掛けてある。エンジュはそれを無視して扉に手を掛けると、施錠されているのも構わずに無理やり捩じ開けた。
「おい、桜町はいるか!? いたら返事しろ!!」
エンジュが大声を出しても、物音ひとつしない。誰もいないのだろうか。エンジュは鋭い眼光で室内を検めながら、奥へと足を進めた。
カウンターの裏からパン工房に入る。工房といっても手狭なキッチンだが、きちんと片付いている。争った形跡はなく、ここにも誰もいないようだった。
パン工房の更に奥は、居住スぺースに繋がっていた。元々日本家屋を改装して一部をパン屋にしたようで、居住部分は古い民家といった感じの拵えだ。木の廊下に履き物のまま上ったのは、エンジュがそれだけ警戒心を抱いていることの表れだった。
廊下に面した襖を開けていく。いずれも畳張りの和室で、座卓の置かれた居間、箪笥の置かれた寝室と、最初の二部屋は何の変哲もなかった。しかし少し離れた廊下の奥、三つ目の襖を開けて、エンジュは目を見張った。
うず高く積まれた荷物、数々の古びた骨董品、本棚から溢れ部屋中の隙間を埋め尽くしている本の山。足の踏み場もないどころか、カーテンが閉められたままの窓が荷物の間から半分ほど覗いている他には、ろくに壁さえも見えない。これまでに目にした余計な物がなくきちんと片付いた部屋とは正反対だ。
この手狭な部屋は物置きではないようだった。部屋の中央に人一人が座り込めるくらいの空間と、小さな卓がある。そこには和綴じの古書が開いたまま置きっぱなしにされていた。
何が書かれたものだろう。エンジュは部屋に足を踏み入れた。
途端に体から力が抜けた。思わず膝をつく。そのまま前のめりに倒れ込みそうになるのを両手をついて堪えたが、その手すら震え、四つん這いのまま身動きが取れない。
〈な、なんだ!? 何が起きてやがるんだ──〉
神経が切り離されてしまったかのように、手足が言うことを聞かない。頭はうな垂れて、床を向いたまま見開いた眼球は瞳孔が小さく絞られ、エンジュは喘ぐように息をした。苦しい。動かないのは手足ばかりではない。全身が痺れるようで、視界も目を開けて見ているはずなのに何も見えないような、理解不能な感覚だった。
「ち、くしょう……なめんじゃねえぞ──!!」
エンジュは鬼牙を剥いて歯を噛みしめると、片膝をついて顔を上げた。その目は金色に輝いていたが、表情に余裕はない。脂汗を滲ませながら、鬼気迫る面差しで室内を睥睨する。
この部屋に何か仕掛けがあるのか。よく見ると、荷物や本棚の隙間からわずかに覗く壁面に、妙なものが貼られてある。一部しか見えないが、エンジュはそれが何かすぐに察しがついた。つい最近、同じものを目にしたばかりだ。思わず舌打ちをして天井を見上げると、そこにもあの咒符と同じような禍々しい紋様の細紙が、幾重にも隙間なく、執拗に貼り重ねてあった。
「へぇ……これだけしてあってもまだ動けるんだ」
後ろから声がした。エンジュが半身に振り返ろうとすると、頭を衝撃が襲った。体ごと倒れ込む。崩れた本の束が、バサバサと折り重なってくる。
体に何か貼り付けられるが、振り払うことはできない。エンジュは遠ざかる意識の中で、自分を殴り倒した人物を見た。無表情にエンジュを見下ろす柴木真子。繰り返し化け物たちを殺害してきた犯人のその魔の手には、鈍い光を放つ和式ナイフが握られていた。