表紙 » 仮粧町通り商店街 異形種共同組合 ブッダマニアと消えない痕跡

06

〈え? でも、学校は?〉

実際に声には出さなくても、表情がそう言っていた。

あれから、エンジュの仕事を手伝うことに決めたユウマは、苦渋の思いで陽鞠との登校を諦めた。

「ごめん、ちょっと用事ができて……先に行っててもらっても……

「うん、いいけど……

陽鞠は実際にはそう答えて、エンジュをチラと見た。

エンジュはすまし顔だが、陽鞠は不審げに思っているようだった。無理もない。エンジュのことは、前に鉢合わせたときに遠い親戚の子と説明していた。その親戚の子と朝から用事でどこかへ行くというのは、ちょっと不自然だとユウマ自身も思っていた。せめて悲しそうにしていればお悔やみだとか言い訳できたかもしれないが、〈声をかけてきたとき、エンジュすっごく笑顔だったし……〉。

「学校には遅れないようにね」と先生みたいなことを言って一人先に行く陽鞠を見送るユウマはちょっと後ろめたかった。〈ごめんなさい、今日はサボります〉そう心の中で謝った。


被害者の氏名は物倉ものくら美晴みはる、市内在住の二十四歳ということは報道でわかっていた。

ユウマは、組合の事務所で紅葉から事件の話を聞いた後、それとはなしに、家の新聞を確かめてみていた。ユウマの親が取っているのは県内では最も購読数の多い地元密着の地方紙で、事件に関する記事はどれもテレビ欄の裏、雑事を扱う社会面の最後のページにあった。

最初の報道は、紙面の下部で小さく扱われたいわゆるベタ記事で、身長一六五センチ、二十~四十頃の身元不明女性が死亡しているのが発見されたと端的に報じられていた。警察は司法解剖をして死因や身元の特定を急ぐとある。

翌日の記事になって、少し不思議なことに、警察は殺人と断定したとあり、ほのぼのとした四コマ漫画の隣に被害者の似顔絵が掲載されていた。合わせて、地域の住民に驚きと不安が広がると書いてある。ユウマが住んでいるのも事件現場からはそう遠くない地域だが、母親の話を聞いても近所で話題になっているという感じではない。ただ本当に目と鼻の先に住んでいる人達にはやはり動揺が大きいということかもしれない。

似顔絵はあまり似ていなかったのか、それからしばらくたった先日の記事でようやく、被害者が古染屋町三丁目に住む自営業・物倉美晴と判明したと報じられていた。住所がここまで具体的に書いてあるのは意外だったが、それで事件現場だけでなく被害者がどのあたりに住んでいたのかも大体わかった。


以上のことをかいつまんで説明すると、エンジュは驚いた顔を見せた。

「新聞なんか読んでんのか。なんかおっさんみたいだな」

……普段から読んでるわけじゃないよ」

感心すると思って伝えたのに思わぬ反応だったので、ユウマはちょっとむっとした。

「気を悪くするなよ。頼りになる大人の男だなってことだよ」

「無理矢理なフォローはむなしくなるだけだからやめてくれないかな……


気を取り直してユウマは状況を整理してみることにした。

この事件の犯人は、これまでエンジュたち組合員を含む化生の者や物の怪といった人ならざる者を狙って殺害していた。聞くと、およそ一年ほど前から不定期に起きている事件らしい。発生地域は概ね、今回の事件が起きたのと近い範囲に限られていて、犯人の生活圏内であることが予想される。

被害者は共通して喉を抉られ、第二頚椎を奪われていた。これは人間であれば、火葬後によく喉仏とか仏様が座禅しているように見えるとか説明され、収骨の最後に骨壷に収められる部位だ。日常的に喉仏と呼ばれる部位は軟骨で火葬時には焼滅する。

化生の者や物の怪たちに火葬はない。エンジュに聞いたところによると、死んだら塵となり、その塵さえも無に帰して、消えてしまうのだそうだ。一見、人間と大して変わらないように見えても、人間とは決定的に異なるのがその点らしい。それ故に、化け物退治の逸話は尽きなくても、化け物の死体というものは現存していない……眉唾なものを除いては。

従って今までは手掛りも少なく、犯人を探すのにも限界があった。被害者が共通して喉を抉られているのが、喉仏を奪われていたからだとわかったのも、今回犠牲になったのが人間だったからだという。


「そういえば」

ユウマはふと気になってエンジュに聞いた。

「物倉美晴さんが殺された後、喉仏を奪われてたっていうのは、どうやって調べたのかな? 新聞には載ってなかったと思うけど」

「オレは知らねえよ。あの烏女が言ってたことだからな」

「今度聞いてみようか」

「そうしてくれ。お前、あいつに気に入られてるし。多分教えてくれるだろ」


その紅葉から聞いた話では、こういった事件を起こしそうな集団が二つあるそうだった。

一つは南木という、古くから人ならざる者を狩ることを生業としてきた一族の末裔で、その本家と組合とは長らく停戦状態にあるが、現状でも敵対関係がなくなったわけではなく、分家筋などの末端が独断でやったということまで考慮すれば〝化け物殺し〟については十分に可能性があるとのことだった。しかし彼らが人間を手に掛けるということは考え辛い。

もう一つは西洋から流れてきた怪物たちを中心にした“ギルド”と呼ばれる組織で、これもまた組合とは敵対関係にある。エンジュら土着の物の怪たちは、南木との停戦協定以来、人間を殺さないことはもちろん、人間社会に大きな影響を及ぼさないよう暮らしてきた。一方、外からやってきた彼らには南木と組合との取り決めなど関係ない。そこに人間を捕食せずにはいられないような化け物たちが加わって、数は少ないとはいえ、危うい集団になっていた。自治活動を行う組合員との間には揉め事も起きている。

人間が犠牲になったことを考えると、あり得そうなのはギルドの一員──これまでの散発的でとりとめのない手口を考えると、組織的なものでなく構成員の一人二人が勝手にやっていることではないか、というのが組合側の今のところの見立てだそうだ。

エンジュとしてもその考えで、本来ならすぐにでもギルドの連中のもとに乗り込んで直接話を聞きたいところだが、もし明確な証拠が──物証であれ状況証拠であれ──得られるなら、あるにこしたことはないし、そうでなくとも有力な情報を掴んでいれば交渉を有利に進められる。ちなみにエンジュのいう交渉とは口で行うものとは限らないのは言うまでもない。

いずれにせよ、これまでは化け物の類だけが被害にあっていたのに、なぜ今回に限って人間である物倉美晴が犠牲になったのか。それがわかれば、今までとは違った手掛りになる可能性は十分にある。

さしあたっての問題は、物倉美晴についてどう調べたものかということだ。

今彼女の名前をインターネットで検索しても、事件に関する短い記事か、それを薄めて伸ばした引き写し、根も葉もない出所不明の噂話しか見つからない。積極的に個人情報をバラまいてる類の人でもなければ、その人の人となりも交友関係もネットではわからない。

こういうとき興信所などの探偵業者に調査を依頼をすれば、詳しく調べ上げてくれるのかもしれない。ただ聞くところによると結構な額がかかるらしく、一介の高校生にはもちろん、借金まみれの団体職員には払えそうもない。

結局は自分たちの足で稼ぐしかないということになるが、警察やマスコミ関係者ならまだしも、どこの誰ともわからない子供が事件の被害者について聞き込みをしてまわるというのも不審すぎる。話を聞かせてくれと訪ねてこられた近隣住人も戸惑うことだろう。

「何か良い案はねえのかよ。そのためにお前を呼んだんだぜ」

エンジュは両手を頭の後ろで組んで投げやりに言った。自分で考えるつもりはさらさらないらしい。

ユウマには──一応の案がなくはなかった。ちょっと後ろめたくなくもないが、これ以上の被害を増やさないためにもと考えたら、そのくらいはやむを得ないのかもしれない。ただ一つ問題があって、エンジュが素直に協力してくれるかどうか……

「考えはあるんだけど」

ユウマが躊躇いがちに言うと、エンジュは喜ばしげに表情を崩した。

「おお、本当か。やっぱ日頃からいらん企みばっかしてるやつは、頭の出来が違うな」

「それは褒めてるんだか貶してるんだか……

「褒めてるに決まってんだろ。で、その考えってのは何なんだよ」

「うん。でも、ちょっと言いづらいんだけど」

「なんだよ。もったいぶるな。さっさと教えてくれ」

「エンジュにも協力してもらう必要があって」

「は? そんなの当然だろ。オレの方から手伝ってくれって頼んでおいて、協力しないわけねーだろ。なに言ってんだ」

「本当に?」

「『本当に?』ってなんだよ。オレがウソつくってのか」

「そうは言ってないけど」

「じゃあさっさと言えよ」

「やっぱりまずは近所の人に話を聞いてみるのがいいと思うんだよね」

「それは怪しいってさっき自分で言ってたじゃねえか」

「だから、怪しくないようにする」

……どういうことだ? まどろっこしい言い方してねえで、もっとこうスパッとわかりやすく頼む」

「話を聞きに来ても怪しくない人のフリをする。具体的には、被害者の身内。お世話になった甥や姪とかを名乗る」

「被害者の遺族に成りすますってことか」

「やっぱり不謹慎かな?」

ユウマは自信なさげに聞いた。

実際のところユウマには自信がなかった。幼稚園に入るよりも前から『自分がされて嫌なことを人にするのは止めましょう』と教わってきたが、その“自分がされて嫌なこと”が人とはかなり違うことに気づいたのは、小学校も残り半分を切ってからだった。

決してユウマは他人の痛みがわからないわけではない。辛そうにしている人を見ると心が痛むし、困っている人にはむしろ手を貸そうとしたがる方だ。けど、何をされると傷つくか、その基準が人とは隔たりがあるために、傷つけてしまってからそのことに気づく。気づいても、相手が傷ついていることには胸が痛むものの、どうしてそれで傷つくのかはよくわからないことがある。だからユウマは、一種のパターンとして、こういうことをすると他人は傷つくという例を丸暗記していくしかない。

事件に巻き込まれて殺されてしまった被害者の身内に成りすます──そのことがどのくらい不謹慎なことか、ユウマには見当がつかなかった。ユウマだったらそれで犯人が見つかれば亡くなった人も本望ではと感じるが、そうは思わない人も世の中には多いということに、もう察しがつくくらいには大人になっていた。

「まぁあんまり褒められたことじゃねえよな」

エンジュは神妙そうに目を閉じて、腕を組みながら答えた。

「でもしょうがねーんじゃねえか? 場合が場合だからな」

ユウマはちょっと意外に思った。どちらかというとエンジュはこういうことにうるさい方だ。

「反対しないんだ?」

「仕方ねえだろ。他に案がないんだろ? 男には泥をかぶんなきゃなんねえ時ってのがあるもんだ」

エンジュはヒラヒラの服装で腕組みをしたまま言った。ユウマはツッコミを入れるべきか迷ったがやめた。男気ならエンジュの方がある。

「そうと決まったらさっさとやろうぜ。古染屋町の方だったよな」

「ちょっと待って」

さっそく行動を開始しようとしたエンジュを、ユウマは呼び止めた。

「さっき言ってた『言いづらいこと』なんだけど」

「それならしょうがねえっつったろ。非常時なんだから」

「そうじゃなくて、別にあるんだけど」

エンジュはちょっと怪訝な顔をした。ユウマは構わず話を続ける。

「聞き込みをするにしても、いきなり見知らぬ人が尋ねていって話を聞かせてくれって頼んだって、協力してあげようって気にはなりづらいと思うんだよね」

「だから身内のフリするんだろ」

「その納得感がないと……『身内なんです』って伝えたときに、『あぁそうなんだ、できることがあれば協力してあげたい』って思ってもらえるような雰囲気を作らないと」

「なるほど、確かにな」

エンジュは感心するように言った。わざわざ協力を仰ぎに来るだけあって、こういう細かい部分に考えを巡らせておくことについてはユウマを信頼しているらしい。

「で、どうするんだ?」

しかしそう無邪気に聞いたエンジュも、ユウマが具体的な方法を説明すると、表情を曇らせた。露骨に嫌そうに口の端を歪める。

「やだ」

エンジュはシンプルに拒否した。

「誰がそんなことするか」

「さっき協力するって言ったじゃないか。『オレがウソつくってのか?』って大見得切ったのに」

「それはそれ、これはこれだ! 何事も限度ってもんがあるだろーが!」

「ひどい……自分の言葉には責任を持ってよ」

「テメエ、オレをはめやがったな」

エンジュは鬼歯を剥いてユウマを睨むが、ユウマはにこやかにしていられる余裕があった。エンジュが自分に理がないのに力に訴えたりするようなことはないとわかっているからだ。

「でも他に方法は思いつかないし……。エンジュの言った通り、仲間のために、泥をかぶるべき時もあるんじゃないかな……


…続く