表紙 » 仮粧町通り商店街 異形種共同組合 ブッダマニアと消えない痕跡

07

花畑房江はいつものようにテレビを点けっぱなしにして部屋を掃除していた。掃除機をかけているとテレビの音はかき消されてしまう。それでノズルを操りながら時折テレビの方に目を向ける。話は聞こえなくても、テロップと出演者の振舞いで大体どんな内容かは見当がついた。

今日も話題にはなっていない。房江は不満げに掃除機を引っ張った。そりゃ何も全国ネットの番組で取り上げるような大ニュースじゃないかもしれない。それでも、人の家にあんなに押しかけてきておいて、地元の番組でもろくに取り上げないなんて、どういうつもりなんだろう。忙しいところわざわざ話をしてあげたのに。あれはなんだったんだ。

昨今テレビや新聞などメディア業界人の傍若無人さに不満を抱く人たちが増えているという話題をネットで見かけた。それももっともなことだと思った。テレビの取材だと言えば、喜んでインタビューに答えると思っている。少しくらい邪魔をしてもいいでしょう。テレビに出られるんだから。そういう態度がにじみでている。思い出すだけで少し不愉快な気持ちになった。

口では『お忙しいところ失礼します』などと言いながら、『どうせ暇でしょう』と言いたげなのが、態度に表れていた。暇なわけがない。住まいを快適に保つのにどれだけ腐心しているか。家庭に責任を持つということを知らない人たちにはきっとわからないだろう。

掃除機のノズルヘッドを部屋の隅にガコガコとぶつけるようにして埃を吸い取らせていると、家のチャイムが鳴った。

房江は掃除機のスイッチを切った。こんな時間に誰だろう。昼前に誰かが訪ねてくるようなことはあまりない。近所の友達は同じようにまだ家のことをしている時間だし、何か通販で頼んだ覚えもない。

また誰か話を聞きに来たのだろうか。町の安全のためにがんばってくれている警察ならまだしも、メディアの取材だったら今日こそは追い返してやろう。そう思いながら玄関に向かった。

ドアを開けると、そこにいたのは警察でも、記者でもなかった。子供が二人、頼りなさそうに玄関前に立っていた。

一人は男の子で高校生だろうか、ブレザーの制服に身を包んでいる。もう一人は女の子で、白いシャツに紺の吊りスカートという、この辺りでもよく見かけるような小学校の制服姿だ。

「あら、どうしたの? なにかご用?」

房江は厳めしい表情を和らげて聞いた。

こんな時間に見知らぬ子供が訪ねてくるとは、思いがけないことだった。今日は平日だ。普通なら学校に通っているはずだろうに、何か困ったことでもあったのだろうか。

二人はちょっと躊躇うように顔を見合わせた。それから男の子の方が、意を決したように「あの」と口を開いた。

「僕たち、美晴さんのことを教えてほしいんです」

「美晴さん?」

そう聞き返してから、すぐ頭に浮かんだのは例の事件の被害者の名前だった。

「美晴さんって、物倉美晴さんのこと?」

「そうです」

どういうことだろう。まさかこの子たちが捜査関係者なはずはないし、記者の回し者だという可能性も──まだ実際に追い返してはいないのだから──今のところはない。想像を巡らせてみても、こんな子供が事件のことを聞いてくる理由は思い当たらなかった。

「どうしてそんなことを聞きたいの?」

「新聞で事件のことを知ったんです。ずっと会ってなかったけど、小さいころから美晴おばさんにはすごくお世話になって……

そこまで言うと、男の子は悲しげに顔をうつむかせた。

そういうことだったのか。房江は警察が聞き込みに来たときにこぼしていた話を思い出した。被害者は県外出身者らしく、身寄りが見つからずに困っている様子だった。

「あなたたち物倉さんのご親戚?」

……はい」

「そうだったの……

思った通りだ。この子たちは被害者の近親者で、事件の話を聞いてわざわざ遠くから訪ねて来たのだろう。

「美晴おばさんにはずっと会いたかったのに会えずじまいで……せめて美晴おばさんがどんな風に暮らしていたか知りたいんです」

男の子の口ぶりは、房江の好奇心を刺激した。何か家庭に複雑な事情がありそうだ。けれどそれを聞くのはあまりに不躾に思えて、グッと我慢する。

「ごめんなさいね、力になってあげたいのはやまやまだけど、私もそんなに物倉さんと親しかったわけじゃなくて……

「そうなんですか……

「ときどき見かけたら挨拶するくらいで……うちだけじゃなくて、物倉さんってあんまり近所付き合いはなかったみたいだから」

「よその家でも同じようなことを言われました」

「そうよね……ときどき犬の散歩に出るくらいで、あとはずっと家に籠ってるような感じだったみたいだし……

「仕事はどうしてたんでしょう」

「それも家でしてたみたい。そういえば、翻訳の仕事をしてるって……仕事のやり取りも全部インターネットで済んじゃうから、気をつけないとすぐ引きこもりになっちゃうんですって冗談めかして言ってた」

「それで近所付き合いがあまりなかったんですね……

当てが外れたのだろう、男の子は残念そうに目を伏せた。

その隣の女の子は、訪ねてきたときから俯いたままだった。妹だろうか。人見知りなようで、心細そうに口をギュッとへの字に曲げて押し黙っている。ふるふると震えるようにして、ずっと男の子の服を掴んでいるのはお兄ちゃんっ子なのかもしれない。

そんな二人の様子を気の毒に思って、房江はもう少し何か教えてあげられることはないか思い出そうとした。

美晴のことはたまに見かけるくらいだったが、感じのいい女性という印象だった。声を掛けると、わざわざ足を止めて、ふんわりとした笑顔で挨拶を返してくる。どこか浮世離れした雰囲気があったが、小さな子供向けの海外文学を翻訳していると聞いて、妙に納得した。そんな仕事をしているだけあって子供好きなようで、散歩中に小さな子供たちが犬に惹かれてやってくると、撫でさせてやったりしていた。そのときのニコニコした笑顔を思い返すと、とても誰かの恨みを買うようには思えない。

そんな風なことを取り留めもなく話すと、男の子は何度も頷くようにして聞いた。少しは役に立てただろうか。房江はちょっとだけいいことが出来たような気になった。

「ありがとうございました」

男の子は涙ぐんでいるように見えた。

「おかげで美晴さんがどうしてたか、わかりました」

「ごめんなさいね、これくらいのことしか教えてあげられなくて」

「そんな……わざわざありがとうございました」

男の子は丁寧に頭を下げると、女の子にも同じようにさせた。

「あ、そういえば」

二人が背を向けようとしたとき、房江はふと思いついて言った。

「警察には寄ってみた? 色々話を聞かせてもらえるかも……。向こうも、身寄りを探してたみたいだったから」

それを聞いた男の子が、なぜか一瞬驚いたような顔を見せたのが、房江には奇妙に思えた。そそくさと立ち去る二人を見送って、再び家の掃除に戻る。テレビは相変わらず、事件とは無関係な話題で騒ぎ立てているようだった。


…続く