08
「クッソ……お前まで、よくもオレにこんな格好させやがって……」
エンジュは相変わらずの睨み目を窓の方に逸らしていた。よほど不満だったのだろう。アイスティーのストローをくわえたまま頬を膨らませ、ユウマとはなかなか目を合わせようとはしてくれなかった。
「そんなに嫌がらなくても……エンジュが思うほど似合ってなくないと思うよ」
「それはなだめてるんじゃなくて、ケンカ売ってるんだよな?」
「まさか、そんな」
ユウマは慌てて両手を振って否定した。エンジュは格好こそまるで小学生児童で可愛らしいが、鬼歯を剥いて睨まれるとさすがに背筋が凍る。
「まったく……何が悲しくてこんなガキの格好して出歩かなきゃなんねえんだよ」
「でも、おかげで色々話も聞けたわけだし」
エンジュがこんな格好──つまり小学生の制服姿をしているのはもちろん、物倉美晴の近所の住人から話を聞きやすくするためだった。大人より子供、男性より女性の方が、親切にしてあげたいという気持ちを惹きやすいのは世の常で、それで宗教の訪問勧誘なんかもよく子連れでいるらしい。ユウマが一人で話を聞いて回るより、いたいけな女の子が隣でいじらしくしていた方が成果は上がるだろうと考えてのことだった。
制服は小学校に子供を通わせている組合員から借りて用意したが、エンジュはそれを着るのを嫌がった。
「こんな恥ずかしい格好できるか!」
しかも格好だけでなく、話を聞いている間は可愛らしい女の子のように振舞うことを要求したので、エンジュはますますヘソを曲げてしまった。エンジュに「可愛らしい」は厳禁だ。
しかし苦労してエンジュを言い含めた甲斐あって、聞き込みはおおむね順調にいった。物倉美晴の住まいが正確にはわからないので、同じ町内を片っ端から訪ねて回るしかなかったが、突然の訪問に応対してくれた人たちは皆──美晴のことはよく知らないという人が大半ではあったものの──おおむね親切に話をしてくれた。警察が身寄りを探していると聞かされたときは少しドキッとしたが……。
一通り話を聞いて回ってから、二人は少し遅い昼食を摂ることにした。
古染屋町から少し戻ったあたり、普段ユウマの通学する道順からは外れた路地に、ベーカリー&カフェ『ポリアンナ』はあった。焼きたてのパンを売る小態な店だが、テーブル席もあり、コーヒーや紅茶を飲みながら買ったパンを食べられるようになっている。学校帰りにちょっと寄り道をしたときに見つけ、それ以来ユウマが下校時に時々寄っている店だった。
手狭な店内にはインテリアとして、古書や骨董品のようなものがぽつぽつと並べてある。店主の柴木真子が趣味で集めているものらしかった。
「しかし、折角あちこち回ったのに、大した話は聞けなかったな」
不満そうに膨らんだエンジュの頬から、ストローを伝って、小さな泡がぷくぷくとアイスティーの中を潜って浮かんだ。
「そうだね」とユウマは物倉美晴について聞けた話を頭の中で反芻した。「誰かと揉めるような性格じゃなかったみたいだし、近所付き合いが少ないどころか家からもあまり出なかったようじゃ、変な交流関係があったわけでもなさそうだしね……」
目下の謎は、なぜ美晴が狙われたのかということだ。近隣の人から聞いた内容を総合すると、特に理由もなく通り魔的に襲われたと考えるのが自然なように思える。しかし犯人が南木の一族だとしてもギルドの一味だとしても、ただの人間を一連の事件と同じ手口で殺したのにはそれなりの理由があるはずだ。
「犯行現場を目撃されて口封じに、ってことはあるのかな?」
「妖怪を殺したって人の世では事件にもなんねえんだ。そんなことしても、わざわざ厄介ごと増やすようなもんだろ」
「そっか。確かにそうだね」
「それに同じタイミングで誰かが殺られたって話も聞かないしな」
エンジュの言う通り、妖怪殺しと違って、人間を殺したりすれば余計なリスクを負うばかりだろう。物証も残れば、日本警察という犯人検挙に執念を燃やす人海戦術のプロにまで追われることになる。
それに、口封じなら、あえて今までと同じ手口を踏襲する必要もない。やはり不運にも巻き込まれてしまったというより、美晴自身が狙われたと考える方が自然だろう。
「つるんでる仲に物の怪の類でもいりゃあ話は簡単だったんだけどなぁ」
それを期待しての聞き込みだったのだが、その点に関しては当てが外れてしまったと言うよりない。
そういったことを話していられるのは、店の中に二人きりだったからだ。飲食店でいう昼過ぎの暇な時間で、他に客はいない。店主の真子は、会計を済ませたあと一旦裏へ引いていた。カウンターの奥から別室に繋がっていて、そこにキッチンやパン工房があるらしい。
「それにしても、変な世の中だよなぁ。家から出ずに仕事もできりゃ、買い物だってできるってんだからよ」
「変かな」
「そんなことじゃ、どんどん人と人との繋がりってもんが薄くなってっちまうんじゃねえか。もっとこう、直に接する温かみみたいなもんがねえとさぁ」
「言うことがお年寄りじみてる……エンジュってそういえばいくつなの?」
「バカヤロー。レディーに齢を聞くんじゃねえ。お前が思うよりずっと若ぇよ」
見た目は小学生女児で、言っていることは年寄りなので、それより若いと言われても何の参考にもならなかった。
「犬の散歩以外は、ずっと家に籠って仕事ばっかしてるなんてなぁ……どっか遊び行ったりしたいって思わねえもんかな」
「犬を連れてだと、途中でどこかに遊びに寄るってのも難しそうだね」
「そんな暮らししてたら、気が滅入ってくるだろ」
「エンジュはアウトドア派だもんね」
それにも関わらず、今の仕事は組合の事務所で待機している時間がほとんどなので、エンジュはよく一人でつまらなさそうにしていた。「寂しいんだ?」なんて聞いたら絶対に怒られるので間違っても口にはしないが。
「しゃーない」エンジュは背を伸ばすと、手を頭の後ろで組んだ。「アテがないならないで、なんとかするっきゃねえか」
「なんとか?」
「別の方面から当たるってことだよ」
「別の方面って……」
ユウマちょっと嫌な予感がした。それが表情に出たのか、エンジュはカラカラと笑った。
「心配すんなって。これ以上は迷惑かけねえからよ」
「いやボクの迷惑とかはいいんだけど」
「もうデートの邪魔したりしねえからさ」
「だ、だから違うって!」つい大きな声が出て、慌てて声を落とす。「桜町さんとはそんなんじゃ」
「じゃあどんなんだよ。毎朝仲良くお手々つないで学校に行ってんだろ」
「手は繋いでない」
ユウマは思わず陽毬と手を繋いで登校する情景を思い浮かべてしまった。実際にそうだったらどんなにいいだろう。顔が赤く火照るのが自分でもわかる。
「『手は』ってことは、他はもうちょっと進んでんのか?」
「他ってなんだよ、もう」
「そんなに照れんなよ。男女の好いた惚れたなんざ健康な若者ならあって当然だろ。で、キスはもうしたのか?」
「だから! まだ付き合ってるわけでもないんだよ。そんなことするわけないじゃないか」
「案外ビビリなんだな。したいんならとっととしちまえばいいじゃねえか」
「そんな簡単にできるわけないだろ!」
「何の話してるの?」
ムキになって否定するユウマに、横から軽やかな声が投げかけられた。
「すごく楽しそう」
そう笑ってみせたのは、店主の真子だった。いつの間にか奥のパン工房から戻っていたらしい。水の入ったピッチャーを手に、二人の座るテーブル脇にまでやってきていた。
「す、すみません。騒がしかったですか?」
「全然。ていうか他にお客さんなんていないし。おかわりはどう?」
「あ、お願いします」
真子は二人のグラスに水を注ぐと、「で」と言って口を横ににやつかせた。
「なに? 黒江くんの彼女の話?」
「違います。やめてくださいよ、真子さんまで」
「だって気になるんだもん。ね、ね、どんな子? カッコイイ系? カワイイ系?」
「彼女なんていないです」
「いいじゃない、教えてくれたって」
「えらく今日はグイグイきますね……」
ユウマに迫る真子の目は輝きに満ちていた。
確かに真子は普段から気さくで、初めてユウマが店を訪れたときから親しみのある応対をしてくれていて、そんなに頻繁に通っているわけではなくても、まるで常連客のようにへだたりなく接してくれる。
とはいえいつもは当たり障りのない世間話くらいなので、こんな恋愛話に強く出られるとは、虚を突かれる思いだった。
「好奇心っていうのは欲求なの」真子は世の理を説くかのように言った。「それも三大欲求に勝るとも劣らないくらい重要な。好奇心がなかったら人類はここまで進歩しなかったし、美味しいパンも焼けないし。知りたいと思ったことを知らないままにしておくのは不健全なことなんだよ」
「そんな重要な力をこんなことに発揮しなくても」
「気になって、夜も眠れなくなっちゃう。今度店に連れておいでよ」
「いいですけどきっと期待外れですよ。ただの友達ですから」
それでも真子は満足げに微笑んだ。
「二人のためにカップル専用メニューを用意しておかないと」
「勘弁してください……っていうか、真子さんってそんなに恋バナが好きだったんですか」
「我ながら、好奇心が強すぎるなぁとはよく思う」
真子は困ったように言うが、好奇心とかそういう問題なのだろうか。ただの野次馬根性に思えてならない。
「一度気になりだすと、いてもたってもいられないんだよね。そのせいで色々失敗もするし」
「失敗?」
「面白そうな本を見かけたらすぐ買っちゃって、部屋が本だらけで足の踏み場もなくなったり」
「本好きのあるあるですね」
「新作パンのアイディアが浮かんだらデートを途中でほっぽりだして帰っちゃって破局したり」
「思ったより深刻ですね」
「そーなの。黒江くんも、今のうちにちゃんと青春しておいたほうがいいよ」
真子はしみじみと言った。
「それに、気になることは他にもあって」
「まだあるんですか」
「うん」
真子は不思議そうに首をかしげると、曲げた人差し指を唇の下に当てた。
「どうして平日のこんな時間に高校生がお店に来れるのかなぁとか」
ユウマは固まった。
確かに真子の疑問は正しい。まだ昼過ぎで世の学校では午後の授業が行われている時間帯だ。
「あんまりうるさいことは言いたくないけど、サボリはお姉さん感心しないなぁ」
真子の言い方は冗談めかしていたが、有無を言わせない大人の物堅さがあった。
「それもこんな小学生まで連れて」
そういう言い方をされると、まるでユウマが、自分だけならまだしも、小学生にまで学校をサボらせて連れ回してる悪い年上みたいだ。
「いや、その……ちょっと事情がありまして」
「事情ねぇ」
「……実は、物倉美晴さんについて調べてて」
正直に話すべきか、やってることが後ろめたいので躊躇いはあったが、咎めるような真子の目に、つい言い訳するように口にしてしまった。
「物倉美晴さんって……最近事件になってた?」
「はい」
「どうしてまた?」
ユウマはまた少し悩んだが、中途半端な嘘が一番破綻しやすい。思い切って、当初の設定通りに言い切ってしまうことにした。
「この子が」視線でエンジュを示した。「物倉美晴さんが生前どんな風に暮らしていたのか、知りたいらしくって」
「……妹さん?」
「親戚だそうです。よくお世話になったからって」
「そっか。確かに、物倉さんに似た雰囲気がある気はしてた」
「そうなんですか?」と意外そうに聞いてから、ユウマはもっと意外な方を聞き直した。「物倉美晴さんのことを知ってるんですか?」
「うん。うちのお店にも来てくれてたから。ほら、うちペット同伴可だし、散歩のついでだったみたい」
「お店ではどんな様子でした?」
「そうだねぇ……いつもニコニコしてて、大人しい感じの人だったかな。いつも『マコちゃんパン』を買ってくれて」
マコちゃんパンというのは、丸パンの表面にスマイルマークが描かれていて、中に入っているものはその日によって違うという、この店のオリジナルパンだ。割と妙なものが入っていたりするので、買うのには勇気がいる。
「あまり出かけたりしないから、生活に変化が出来て楽しいって言ってくれたり。もう本当に、お淑やか~って感じの人だったなぁ」
「そうだったんですか……」
ユウマは嘆息するように呟いた。
ここで美晴の話を聞けたことは思いがけない幸運だったが、その内容は今までに聞いた話と大差はなかった。美晴の暮らしぶりはわかっても、事件に繋がりそうにはない。
「最近、何か変わった様子とかはありませんでした?」
「うーん。どうかなぁ。私は気づかなかったけど」
「そうですか……」
「ごめんね。少しは役に立った?」
「はい、おかげさまで。ありがとうございます」
「でもどうして黒江くんが?」
「え?」
「その子が物倉さんのことを知りたいのはわかるけど、どうして黒江くんが一緒なの?」
「……たまたま道を聞かれて」
ユウマにしても、嘘に嘘を重ねるのは気が重かった。こういう嘘をつくと来づらくなるんだよなぁ、と溜息をついてしまいたくなる。だが他にうまく説明する方法も思いつかない。もはや毒を食らわば皿までと覚悟を決めた。
「遠くから来て、地理がわからないみたいだったんで」
「それで手伝ってあげてたってこと?」
「そうなんです」
「……親切というかなんというか。キミも厄介ごとを背負い込むタイプだねぇ」
真子は困ったように言った。さっき自分の好奇心のことを評したときと同じような口ぶりだった。