19
大暮四門は古い教会にいた。
市中心部から郊外へ十五から二十キロほど行くと山に入る。山といっても都市圏の一部で、町もあれば空港もあり、街道沿いは市街地とそう変わらない。傾斜もなだらかで、車で走っていれば標高が上がったことも意識しないかもしれない。しかし番号二桁の国道から道を逸れると、やはりそこは巨大な外輪山の一部で、すぐに木々が辺りを取り囲む。しばらくは、豊富な地下水資源を活用した半導体工場などが散立するが、やがてすぐに人気のない手付かずの自然が優勢になる。そこから更に奥に入った、少し開けたところに外国人墓地があり、四門はその脇にあるこじんまりとした教会の中で、来訪者を待っていた。
繁華街にある拠点の一つが襲撃を受けたことは、既にギルドの構成員から連絡を受けていた。見た目は小さな子供だが恐ろしく狂暴な少女が地下の酒場に入ってきて、『大暮四門を出せ』と要求した。その顔に見覚えのなかった従業員の一人が無理やり追い出そうとしたところ、些細なやり取りから暴力沙汰となり、その場にいた他の仲間たちも加勢した。しかし少女に立ち向かった者たちはまとめて痛めつけられ、その騒ぎで店内は破壊され滅茶苦茶になり、挙句の果てに四門の居場所を吐かされてしまった。
居場所のことはいい──四門はあの少女と決着をつけるとしたらこの場所が一番いいと考えていた。そこに向こうから飛び込んできてくれるのであれば、むしろこちらの思う壺だ。
教会の扉が開いた。夜の暗い構内に月光が差し込む。
入ってきたのは、小柄な少女だ。くせっ毛のショートボブに頭頂で結ぶヘアバンドを巻いて、小さなリボンのついたヒラヒラのワンピースという可愛らしい格好をしているが、不釣合いに目つきが悪い。
対する四門は教会の一番奥、説教壇に脚組みで腰掛けて、それを出迎えた。
「これはこれは──どなたかと思えば、また貴女ですか。確か、葛折槐さんと仰いましたか」
四門はことさら芝居がかった調子で言った。
「こんな辺鄙なところまでお越しになって、何の御用でしょう」
「テメェのクソウゼェお喋りに付き合うつもりはねぇ」
エンジュは眼光鋭く言った。
「単刀直入に聞く。アレはテメェらの仕業か?」
「アレ、とは?」
「とぼけてんじゃねえ」
教会に並べられている朽ちた木製の長椅子が一つ、粉々になった。
「オレは気が立ってんだ。徒口はやめて質問に答えろ。組合の者を殺ったのはテメェらかって聞いてんだ。返答次第じゃ、タダじゃ済まねえぞ」
「条件があります」
四門が静かに言うと、エンジュは憤怒する仁王の様に目を剥いて眉根を寄せた。
「──条件だぁ?」
「えぇ。聞きたいことがあるのでしたら、お答えしましょう。ですがそれには条件があります」
「舐めてんのか。オレはお願いしに来たわけじゃねえんだ。話すつもりがねえってんなら、無理やりにでも喋らせるだけだ」
「ですから、何でもお話ししますよ。こちらの出す条件を飲んでさえいただければ」
「……言ってみろ」
「なに、簡単な話です。気が立っているのはこちらも同じでしてね。なにせ二度も縄張りを荒らされて、いいようにされっぱなしでは、ギルドのメンバーにも、対外的にも、〝示し〟がつかないのですよ」
「知るかよ。テメェらがクソザコなのがいけねえんだろうが」
「一人ひとりは別に弱くても構わないのですよ。ですが組織が貶められるようなことはあってはならない。わかるでしょう?」
「下らねえお喋りに付き合うつもりはねえっつっただろ。さっさとその条件とやらを言え」
「死んでください」
エンジュはそれを聞くと、眉間に憤怒を湛えたまま、ビキビキとこめかみに青筋を立てた。しかし口元には好戦的な笑みを浮かべる。
「──気に入ったぜ。そいつは話が簡単だ」
四門は説教壇から飛び降りた。片足で着地すると、もう一方の足で目の前にある棺の角を踏んだ。白木造りで長方形の和式の棺だ。蓋が跳ね上り、教会の隅に転がり落ちる。乾いた木の音が響く中、棺の内より起き上がってきたのは、甲冑に身を包んだ鎧武者だった。面付きの兜で顔は見えないが、腰には太刀を佩いている。それをスラリと引き抜くと、四門の前に立ちはだかるようにして、エンジュに切っ先を向けた。
「教会に鎧武者なんて、不釣り合いなもんを出してんじゃねーよ」
「鬼退治といえば侍のやることだと、昔から相場が決まっているでしょう」
四門はエンジュの正体が鬼であることを見抜いていた。というより、こんな子供の体躯でこれほど強力な力を持ち得る種族がこの国にいるとしたら、それは鬼でしかあり得なかった。
そこで四門が手配したのは、田尻甚四郎の亡骸だった。この男は戦国時代を戦い抜いた侍で、主君が大陸で虎退治をしたという話に触発されて山中に篭り、鬼を退治してしまったという伝説を持つ武辺者だ。
そしてその手に握る太刀は、この国で人ならざるものを狩り続けてきた南木の家系に名を連ねる刀匠が、怨念にも似たその執拗さで、鬼を退治するために鍛え上げた妖刀だ。鬼を斬ることにかけては類稀なる効力を発揮する。もしエンジュがうかつに飛び込んでくれば、一太刀に斬り捨ててそれで終いのはずだった。
しかし意外にも、あれだけ勢い込んでいたにも関わらず、エンジュは飛び掛かってはこない。薄明りだけの暗い教会の中で、見開かれた眼いっぱいに瞳孔を拡げ、四門と鎧武者を透かすようにして同時に見ている。それは偶然にも、かつてこの地で書かれた最も名高い兵法書にある、遠くを近く見、近くを遠く見る、観見の目付けと等しかった。
四門は心の中で舌打ちをした。腕力任せの直情径行な相手であれば組みするのは容易い。しかしこの乱暴な鬼娘は、こと戦闘に関しては知性があるらしい。
それでも四門は落ち着いていた。このままでいい。このまま相手が動かなければ、それだけ四門に有利に事は運ぶ──。
そう考えたとき、エンジュが動いた。エンジュは近くにある木製の長椅子を、まるで木の枝でも拾うように軽々と持ち上げると、思い切り四門へと投げつけてきた。
間に立った鎧武者が、それを斬り払う。だが飛んでくる椅子は一脚だけではない。次々と投げつけられる長椅子を武者は鋭い太刀捌きで斬り落とす。裂けた椅子が辺りに飛び、砕けた木片から木屑が舞い散り、周囲に漂う。その煙霧に乗じてエンジュが飛び掛かってきた。
エンジュの拳が武者を捉える。兜を砕きながら頬を横殴りに撃ち抜いた。殴られた勢いで武者は重心を失い、体が回転しながら小さく宙を舞う。そこにエンジュは返しのアッパーカットを叩き込もうと大きなスタンスで低く踏み込んだ。
だがエンジュは咄嗟に、砕かれた椅子の残骸を引っ張ると、楯代わりに身を隠した。そこに妖刀が振り払われる。顔は後ろに捻じれ、体は宙に開いたまま、武者は斬り掛かった。強烈なダウンスイングを受け止めて、エンジュは楯にした木板ごと教会の入り口横の壁まで弾き飛ばされた。
「ってぇ~~。なんつう体勢から攻撃してきやがんだ……」
エンジュはぶつけた頭を不満げにさすった。しかし実際にエンジュが驚きを感じていたのは、そんなことに対してではない。
その視線の先では、床に手をついた武者が何事もなかったかのように起き上がった。エンジュの拳をまともに受けたはずなのに、まるで効いていないようだ。
〈確かに手応えはあった〉エンジュは鋭い視線を武者に投げかけていた。〈それなのに倒れるどころか反撃までしてきやがった……一体、どんな仕掛けがあるっていうんだ〉
武者は再び四門を守るように立って、太刀を構える。間違いなく、威力は十分だった。その証拠に、兜は割れ、顔を守る左右の吹き返しのうちエンジュに殴られた左側はもげてしまっている。ヒビの入った面頬はかろうじて残っていたが、それも、エンジュの拳の衝撃を物語るように、やがて砕けて落ちてしまった。
その面当ての下から現れた顔を見て、エンジュは思わず息を飲んだ。相変わらず静かに太刀を握っている鎧武者の甲冑の下にあるものは、骸骨だった。
「これが私の力です」
四門は両手を広げ、高らかに声を発した。
「死霊術──つまり死者を蘇らせる業です。といっても不完全な能力でしてね、誰でもというわけにはいきません。怨霊のようにこの世を彷徨っている者か、もしくはこの男と同じように死んだあと敢えて昇天できないよう──彼にとっては成仏ですかね。まぁどちらでも構いませんが──現世から離れられないように縛り付けられた霊魂を、元の体に戻してやることで、死者を忠実な下僕に変えるのです」
「ってことはその骸骨は、マジモンのお侍ってことか」
エンジュの理解に、四門は満足げな笑みで返した。
「そんな昔のものがよく残ってたもんだ」
「考古学者が、ネアンデルタール人の骨などを掘り出すことがあるでしょう。そのような旧人類が生息していたのは何万年前か知っていますか。エジプトのミイラは今でも残っていますし、適切に処理をするか、そうでなくとも好条件が揃うかすれば、随分と長持ちするものですよ」
「〝適切に処理〟、ね」
エンジュはワンピースの埃を払うように叩いた。
「自慢げに語ってるところ何だけどよ、よくわかんねえことがあるな」
「なんでしょう?」
「自分の能力を、なんでそんなベラベラ喋ってんだ。ご丁寧に種明かしをしてくれて、自分が不利になるだけだろ。それともなんだ、お得意のその徒口は心理戦か何かのつもりなのか?」
「もちろんそうです」
エンジュのすぐ後ろで音がした。教会の扉が開く音だ。暗い構内に差し込む薄白い光とともに、誰かが入ってきた。それはドレスを身に纏った女性だった。
こんなところに人が現れるのも奇妙だが、それ以上に様子がおかしい。目は虚ろで、顔は上げているのにどこも見ていない。足には何も履いておらず素足が剥き出しで、服は土に汚れた感じがする。そして何より異様なのはその土気色の肌で、血の通った温もりのようなものは微塵も感じられない。明らかにこれは死人だった。
教会の扉は閉まることなく、同じような死人たちが次から次へと入ってくる。いや、同じではない。見た目の年齢、性別、服装がそれぞれ違っているだけでなく、その朽ち果て方にも大きな差があった。ある者は皮膚が半分溶けたようにただれ、ある者は眼球がこぼれ落ち、ある者はミイラのように骨と朽ちた皮だけで、またある者は服をまとった白骨だった。
それらは教会の周囲に広がる墓地から土を押し退けて続々と這い出てくる。入り口からだけでなく、窓を割ってまで教会の中に入り込んでくる。構内に溢れた死人たちの群れはエンジュを取り囲み、ゆっくりとではあるが着実に迫りくる。
「我々の中には人を喰わねば生きていけない種族もいましてね──この者たちの半数はその手に掛かった犠牲者ですが、肉体が滅んだ後も天に召されることのないよう、魂を縛り付けておいたのです。いざというときに、使い捨ての忠実な下僕として活用できるようにね──!!」
これが四門の用意した策だった。
繁華街でやりあったとき、仮に全員で一斉に飛び掛かっていたら、エンジュを倒せていたに違いなかった。自分のことしか頭にない身勝手な連中ばかりなせいで失敗に終わったが、それなら四門が意のままに動かすことの出来る手勢を用意すればいい。そのために選んだ決戦場所が四門のプランテーションである外国人墓地に隣接したこの教会だった。
「ちっ──しゃらくせえ真似しやがってッ!」
両手を伸ばして掴みかかろうとする死人を、エンジュは床に叩き伏せた。だが一体二体を引きずり倒しても、次から次へと死人たちはエンジュに手を伸ばしてくる。倒された死人も、エンジュの足にまとわりついてくる。
その死人たちの表情は、苦しみに満ちていた。無理やり甦らされた肉体はもはや朽ち果てていて、擦り寄る足腰は折れ曲がり、掴みかかる腕はボロボロと崩れ、痛みは感じるのか、すすり泣くような嗚咽をこぼしながら、エンジュに襲い掛かるというより、まるで助けを求めるようにすがりつく。
そんな死人たちに、エンジュは拳を振るうことができない。
「どうしたのです! このままでは身動きが取れなくなってしまいますよ! 死してなお現世の苦しみに囚われ、意志に反して操られる憐れな人間たちの死体など、構わず破壊してしまえばいいではありませんか!」
「大暮四門、テメェ──!!」
エンジュが叫び罵ろうとするが、その口に、後ろからしがみついた死人の手が絡まる。
すべては四門の思惑通りだった。前回、エンジュはあれだけ暴れておきながら、敵であるギルドの構成員を誰一人として殺していなかった。殺すことより、命を奪わずに無力化する方が圧倒的に難しい。わざわざ手加減して殴り、倒した相手を投げつけて牽制する、そんなまどろっこしいことをなぜするのか。その理由も四門の表稼業を活かして調べてあった。
入念な準備の上に組み上げられた策は、確実にエンジュを絡めとり、飲み込んでいく。教会の中は死人で溢れ、腐肉の波にエンジュが消える。後はこのまま圧死するのを待ってもいいし、死人ごと斬り捨てて確実に止めを刺してもいい。
「──存外、呆気ないものでしたね。悪名高い〝鬼〟といっても所詮は小娘でしたか。調子に乗って私たちに喧嘩を売ったことを、後悔しながら死んでください」
四門が手をかざし、指をクイと動かすと、武者は頭の横に刃を構えて身を屈めた。このまま跳躍し、死人の上を踏み越えて、エンジュに斬り掛からせるつもりだ。
そのとき、僅かに建物が震えた。それから静かに音がした。ピシリと、硬いものが割れるような音だ。
四門は上を向いた。一瞬、何も起きないように見えた。しかしその直後、教会中に亀裂が入った。壁という壁、天井という天井に裂け目が生じる。建造物からただの石塊に変わったそれらは、容赦なく落下してくる。誰一人として逃げる暇もない。一箇所が崩れれば、支えを失った他も同時に崩落する。古びた教会は瞬く間に倒壊し、あたりに砂煙を撒いて、瓦礫の山と化してしまった。