表紙 » 仮粧町通り商店街 異形種共同組合 ブッダマニアと消えない痕跡

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ユウマは一人でカフェ&ベーカリー『ポリアンナ』を出ると、珍しく溜息をついた。

来たときと違って、店前の路地に人通りはない。この辺りの住宅地から通勤に出ていく人たちはとうに駅やバス停に向かい、ユウマと同じ高校に通う生徒たちも、学校へは脇道でもあるし、なによりもう走らないと遅刻するような時間なので、こんなところを悠長に歩いていたりはしなかった。

しかしユウマは、急ぐ様子もなく、もう一度小さく息をつく。

あの後──陽毬はすぐに目を覚ました。

『ごめんね……また迷惑かけちゃって』

そう謝った陽毬は可哀そうなくらい気落ちしていた。

『迷惑だなんて、そんなこと全然ないよ……!』

それはユウマの本心だったが、陽毬の心は晴れないようだった。慰めの言葉だと受け取ったのかもしれない。『……ありがとう』と言った微笑みが痛々しかった。

同じく陽毬の様子を心配した真子が、少し店で休んでいくといいと言ってくれた。ユウマも付き添おうとしたが、それはむしろたしなめられてしまった。

『ダメだよ。黒江くんは学校があるでしょ』

……私のことはいいから、黒江くんは、ちゃんと学校に行って』

二人がかりでそう言われてしまっては、ユウマとしてもどうしようもなかった。

『心配しないで、あたしに任せなさい』真子はそう胸を叩いた。『桜町さんのことはちゃんとあたしが見ておくから。どうしても体調がよくならないなら、家に連絡をして、病院まで送ってあげたっていいし』

そうやって送り出されたにも関わらず、ユウマは学校に向かう気にはなれないでいた。陽毬のことが気に掛かるということもあるが、それだけではない。美晴のことだ。陽毬に憑りついた霊が物倉美晴で、彼女がユウマに何か伝えようとしていた、そのことは必ず事件の解決に繋がる糸口になる。そういう予感がユウマにはあった。しかし美晴は、陽毬の体を使って喋ろうとしても、一言二言を発するのがやっとで、その言葉も残念ながらまるで聞き取れない。

少し一人で考え事をしたいと思い、そういえば近くに公園があったことを思い出して、ユウマは学校とは反対方向に足を進めた。

公園も人気は少なく、老人が一人二人ゆったりと散歩をしているくらいだったが、一人きりになろうというユウマの目論見は外れた。公園の入り口で、エニスを連れたエンジュに出くわした。

「エニスの散歩?」

「おう」

エニスは相変わらず、この公園に来ると入り口の前に座って、通りの先を眺めるようにするらしかった。エンジュも強いてそれを止めさせることなく、エニスに付き合うつもりらしい。ユウマはなんとなく、公園に入りかねて、二人の傍に漫然と立っていた。

ユウマはちらりとエンジュを見た。その横顔は静謐だった。最後に会ったとき、エンジュは今までに見たことがない程の怒りを露わにしていた。ギルドの連中に話を聞くと言って、しかし紅葉に強く止められたエンジュは、その後どうしたのだろう。エンジュが何もしないで済ませるようには思えなかったが、こちらから踏み込んで聞いていいものか、ユウマはわからなかった。

エンジュは何をするでもなく、お座りしつづけるエニスを眺めている。

「こいつ……わかってんのかな。ご主人様が死んじまったって」

エンジュがぽつりと呟いた。

「こいつさ、夜、時々ケージの中で、くぅんくぅんって鳴くんだよ。気になって様子を見に行くと、寝てるんだ。犬でも夢って見るんだな。なんかそれを見てると、親と死に別れたのにそれがわかってないで、母親に会いたがってる孤児みなしごみたいで……

……泣きそうになる?」

「は!? ち、ちげーよ。オレが言いたいのはだなぁ──そうだ、ここでこうしてんのも、ご主人様が迎えに来てくれるって思ってるんじゃないかって」

「そうかもね」

苦笑いして相槌を打ちながら、ユウマはふと思った。

「もしかすると会ってたのかも」

「ん?」

「迎えに来てくれると思ってるというより、ここで物倉美晴さんに会ってたのかもしれない」

……どういうことだ?」

「実は、桜町さんに憑りついた霊は、物倉美晴さんだったみたいで」

エンジュはそれを聞くと、ここ最近で一番の驚いた顔を見せた。

「それマジか」

「うん。まぁ絶対とは言い切れないけど……

ユウマは『ポリアンナ』での出来事をエンジュに話した。陽毬に憑りついた霊が、陽毬の体を使って何かを伝えようとしてきたこと。物倉美晴かと聞いたら、頷いたこと。しかし、その言葉を聞き取ることはできなかったこと。

──そういうわけで、残念ながら何を言おうとしてるのかはわからなかったんだけど、彼女に話が聞けたら大きな手掛かりになると思う」

「あぁ……それは間違いねえな」

エンジュの目はいつになく真剣だ。話は、エニスがここで美晴の霊に会っていたのかもしれないという話題だったはずが、自然と、事件のことへと移っていた。

「それで考えたんだけど、この前会った鈴生小枝さんに読んでもらうことってできないかな?」

「物倉美晴の心をか? そりゃ無理だ。あいつのは心を読むっていうより、肉体に刻まれた記憶を読み取ってるわけだからな」

「それじゃあ鈴生さんに読んでもらえるのは……

「生きてるやつか、その残留思念ってとこだな」

そうすると、もう美晴が死んでしまっている以上、小枝の能力ではどうにもならないということになる。

「どうにか物倉美晴さんの話を聞く方法があればと思ったんだけど……

「確かにそんなことができりゃ、事件も一発で解決だろうな」

しかし残念ながら、決定的な証言者がいるにも関わらず、その話を聞くことはできない。解決の糸口が目の前にぶら下がっているのに、そこにあと一歩届かない。

「そう肩を落とすなよ。そういやさ、こっちはこっちで、他に手掛かりが見つかったんだ」

「他の手掛かり?」

興味深げに目を大きくしたユウマに、エンジュは新しくわかったことを話してくれた。


殺されたのが狭間だと判明したとき、エンジュが考えたのは、エンジュと揉め事のあったギルドの連中が報復としてエンジュの親しい者を狙ったのだということだった。しかし直接話を聞いてみると、ギルドは実際には何も仕掛けてはおらず、それどころかギルドもまた、エンジュたち組合と同じく──むしろ時期的には彼らの方が先に──同じ手口で何者かによって構成員を消されるという被害を受けていた。

「その現場に残されてた遺留品ってのが危なっかしい代物でよ」

そう言ってエンジュは写真をユウマに見せた。

そこに写っているのは白い紙に図形的な字が書かれた護符のようなものだった。しかし神社で売っているようなそれとは違い、どこか禍々しい雰囲気がある。

ギルドから提供を受けて、この護符らしきものが何か紅葉が調べたところ、組合の古老が知っていた。その話によると、これは一種の咒符で、人ならざる者たちの動きを縛ることができるのだという。古い時代に南木の巫女の一派が〝化け物狩り〟をするのに使ったものだそうだ。

「巫女が、化け物狩り──?」

「あぁ。かなり手ごわかったみたいだぜ。神憑りの力を利用して、高位の霊格を憑依させて戦ったりするんだとよ」

「巫女さんが、そんなことするんだ……

「憑りつかせる霊次第じゃ、並の武闘派よりよっぽど惨忍だったらしいぞ。まぁそれも昔のことで、今はその一派は残ってないはずだってことだけどな」

古老に詳しく話をしてもらうと、その巫女の一派は始末した相手が確かに化け物であったと証明するために、殺した相手の喉仏を奪っていたこともわかった。手口が完全に、化け物殺しの犯人ブッダマニアと一致している。

「っつうわけで、犯人が南木の関係者だってことは確定だな」

……でも、そうすると、なんで物倉美晴さんは殺されたんだろう」

ユウマが紅葉にこの事件の話を聞いたときから、組合が疑惑の目で見ている相手として、ギルドと並んで南木の名も挙がっていた。それでもどちらかといえばギルドの方を怪しんでいたのは、物倉美晴が殺されたからだ。人に害をなす存在を討ち滅ぼそうとする南木の一派が、その守るべき人間を殺すとは思えない、というのが組合側の見立てであり、紅葉とエンジュの一致した見解だった。

「そこら辺のことは、犯人を捕まえてみればわかるんじゃねーか?」

「そうかな……

「もし何も喋らなかったとしても、小枝がいれば隠し事はできねえからな」

「その犯人の目星は付いてるの?」

……南木が相手だと、ギルドの連中みたいに締め上げるってわけにもいかねぇからな」

「エンジュでも難しいんだ」

「一応、休戦中ってことになってるしよ。勝手にそれを破っちまうのはさすがにマズイだろ」

「じゃあしばらくは、進展なしって感じになるのかな」

「あぁ、そうなるな」

そう端的に答えたエンジュは、浮かない顔をしていた。というより、今日は最初に会ったときから、エンジュはどこか物憂げな顔をしていた。それも当然だ。仲のいい友達を亡くしたのだから、特に仲間を大切にするエンジュが落ち込まないわけがない。

「これ以上、被害が出ないうちに解決するといいんだけど……

エンジュの気持ちを引き取るように、ユウマは呟いた。

狭間が殺されたということを、ユウマはまだはっきりと実感できてはいなかった。死体もなければ葬式もない。死んだのが狭間だったと聞かされただけで、狭間がいなくなってしまったのが本当のことなのかいまだに信じ切れない。だけど、それでも気持ちの底に疼痛のようなやるせなさはあり、きっとエンジュはもっと悲しいはずだし、もうこんなことは起こってほしくないと強く願っているはずだった。

「仕方ねーよ。こうなったら、紅葉のやつが何か上手い考えでも思いつくのを待つっきゃねーな。あんまし期待はできねぇけど」

エンジュは苦々しげに言って、リードを持っていない方の手で頭を掻いた。ふと、ユウマはそれが気になった。エンジュの左手には、包帯がグルグルと巻かれている。

「あれ、どうしたの、その手」

ユウマが尋ねると、エンジュは困った風に笑ってみせた。

「これか? ちょっと色々あってな。侍に刀で斬られたんだよ」

「サムライに? カタナできられた?」

現代日本ではまず縁がないような文句フレーズにユウマが驚くと、その反応に気を良くしたのか、エンジュは得意げな様子で“武勇伝”を語って聞かせた。


ギルドを仕切っている大暮四門という男のいる場所へ殴り込みをかけたところ、四門は死霊使いで、エンジュを倒すためにわざわざ鬼殺しの伝説の武者を用意して待ち構えていた。しかもそれだけでなく、卑劣にも墓地に眠る幾多の罪なき死体を操り、さらには西洋甲冑の騎士まで繰り出してきたが、エンジュの獅子奮迅の活躍によって四門は敗れた。死霊使いの呪縛を逃れた武者の霊は、死してなお魂を縛られ利用されてきた恨みを晴らすべく四門に刃を向けたが、エンジュがその鬼殺しの妖刀を素手で受け止めた。事件の追及のためにここは譲ってくれと頼んだエンジュに、武者はしばらくは恨みを捨てきれない様子でいたが、やがてエンジュに一礼すると、他の操られていた死者たちとともに光となって、天に昇っていった──

「普通はこんな切り傷くらいすぐ治っちまうんだが、こいつはどうも治りが悪くていけねえな」

最後の下りにそう付け加えたエンジュのぼやきぶりは、どこか誇らしげだった。

しかしユウマがその話に身を乗り出すようにして聞き入ったのは、エンジュの活躍に胸を躍らせたからでもなければ、天に召された魂との心の交流に胸を打たれたからでもなかった。

「エ、エンジュ」

「ん? どうした。そんな変な顔して」

「その──大暮四門っていう人と、協力することってできないかな?」

「協力? あのクソヤローと?」

「無理かな? 向こうも被害に遭ってるんなら、利害は一致すると思うんだけど」

「どうかな。散々痛めつけてやったから無理やり脅せば言うこと聞かせるくらいできるかもしれねーが……向こうが協力したいって言ったってこっちで願い下げだ」

「え? どうして……?」

「オレの話、聞いてなかったのか? あいつは、死んだ人間を思い通りの手駒にするために、無理やり成仏できないよう縛り付けて、わざと苦しめるようなことをして、それで高笑いするクズヤローだぞ。そんなやつと、手なんか組めるか」

ユウマは一瞬、言葉に詰まった。それは静かにも強く憤るエンジュに気圧されたからというだけではなかった。どちらかといえばむしろ、エンジュの話を聞きながら四門の取った作戦を合理的だと感じていたことへの後ろめたさと、エンジュが怒っていることに対して、理知的にはよくないことだと同意できても、エンジュほどの怒りを覚えることができない自分に対する引け目のせいだった。

ユウマは決して感情がないわけでも共感性が欠如しているわけでもない。しかし感情よりも先に思考の方が働くことも多かった。そうやって起きたことが頭の中で整理されてしまうと、頭ではわかっても、心までは揺さぶられないということがよくある。そのこと自体も“そういうもの”だとユウマは受け止めていた。

だけどときどき、ちょっと寂しく思うことがある。だからユウマは、好き勝手に感情を露わにするエンジュを羨ましく思うし、一緒にいると何故か思考をかき乱される陽毬に強く魅かれるのかもしれない。

「でも……

ユウマは静かに言葉を継いだ。エンジュにこれを言うのは自分の役目だ。

「その人の力を借りれば、事件は解決すると思うんだけど」

「はぁ? どうしてだよ」

「だって、その人が死霊を呼び出して死者を蘇らせることができるんだったら、それで物倉美晴さんとだって意思の疎通が取れるはずじゃないか」

それを聞いたエンジュが驚きつつも一瞬ひそめた眉の動きに、嫌悪感が滲んでいたことをユウマは見逃さなかった。

「どう思う?」

……オレは気に入らねえな」

エンジュは苦々しげに言った。しかし「無理だ」とは言わなかった。少なくともエンジュの見立てでは、ユウマの言った方法は十分に可能性があるということだ。

「これは僕の勝手な思い込みかもしれないけど、物倉美晴さんもわかってくれるんじゃないかな。犯人を見つけるためだったら──

「そうかもな……。でも、そう思うのは、あいつの死霊術を見てねぇからだよ」

「そんなに酷かったんだ」

「酷いなんてもんじゃねえよ。肉が腐って体はボロボロで、そんな状態で甦らされて、苦しみから逃れるようにして迫ってくるんだ。助けて、助けてって、声が聞こえるみたいだったぜ」

そう言って、エンジュは音が鳴るくらい強く歯を噛みしめた。大暮四門との戦いは、よほどエンジュにとって不快なものだったのだろう。

だけど反対にユウマしか見ていないものもある。

「全然比較にならないかもしれないけど……桜町さんの体を使って僕に何かを訴えかけようとしてきた物倉美晴さんは、すごく苦しそうにしていた。全身を痙攣させて、口から泡を吹くようにして、それでも僕に何かを伝えたがっていた。もしかすると、僕がしようとしていることは、とてもよくないことかもしれない。でも、エンジュ、言ってたでしょ。男には泥をかぶらなきゃならない時があるって。僕は、苦しみを引き受けてでも僕に訴えかけてきた彼女のがんばりに応えたいし、なにより、もう、狭間さんみたいな犠牲を、これ以上増やしたくない……

最後の一言を口にして、ユウマは少し胸が痛んだ。そういう気持ちがないことはなかったが、ユウマ自身の心からの言葉とも言えなかった。これこそ、本当によくないことなのかもしれない。だけど、こうするくらいしか思いつかなかった。代わりにユウマが口にしなければ、強がりなエンジュは自分の思いをきっと押し殺してしまう。

「だから……僕に泥をかぶらせてくれないかな」

ユウマが言い切ってしまうと、エンジュはそっぽを向いた。

機嫌を損ねてしまっただろうか。自分が口にしたことの後ろめたさで不安になる。それがどの程度のことなのか、ユウマにはよくわからない。自分がされて嫌なことが人とは違うから、自分だったらどう感じるかと考えても答えは出なかった。

やはり、いくら事件解決のためとはいえ、死霊使いの邪悪な術を利用しようというのは、あまりに心無い発想だったろうか。ユウマがそう思っていると、エンジュは顔を背けたまま、包帯の巻かれた手で仕方なさげに頭を掻いた。

「ったく。いっちょ前にカッコつけやがって」

そう言ったエンジュの顔はユウマからは見えない。だけどその声は、どこか投げやりな風を装いながら、強い決意を感じさせるものだった。

「お前ひとりに押し付けられるかよ」


…続く